見出し画像

2001年 ヤクルトスワローズ(優勝)

1990年代に野村克也監督のもと、4度の優勝と3度の日本一を達成したヤクルト。98年に野村監督が退任すると後任にはスワローズ一筋の若松勉が就任。しかし就任2年間はいずれも4位でした。そんなヤクルトは2001年に優勝。
さらに球史において1番の破壊力を持った打線として語られるいてまえ打線を有した同年の近鉄を倒し日本一を達成しました。そんな2001年のヤクルトを振り返ります。


覇権奪回

そもそも90年代ヤクルトの黄金時代を支えたのはドラフト戦略が大いに影響しています。その例として、
89年→西村龍次・古田敦也
90年→岡林洋一・高津臣吾
91年→石井一久
92年→伊藤智仁・真中満
94年→宮本慎也・稲葉篤紀
95年→石井弘寿
と主力を一気に獲得できており、ここ5年においても岩村明憲(96②)、五十嵐亮太(97②)、藤井秀悟(99②)と指名。
さらに99年からはヤクルト史上屈指の神助っ人、R.ペタジーニが入団。優勝するこの年にはアレックス・ラミレスが入団しています。

2000年のドラフトでは逆指名枠を2つ使い平本学と鎌田祐哉(写真)を獲得。
特に鎌田は一時期戦力となった年はあったがそこまで大きな活躍はできなかった。
また平本は制球難に陥り早期に戦力外と珍しくあまりドラフトがうまくいかなかった。

打撃陣

スタメン8人が全員規定打席到達。3割打者は真中、稲葉、ペタジーニ、古田の4人です。特にペタジーニは.322 39HR 107打点でHR王・打点王の2冠に輝き、149安打ながら120四球を選び出塁率.466で最高出塁率も獲得。この年のMVPに選ばれました。
新外国人のラミレスは1年目から日本野球にマッチし、.280 29HR 88打点と素晴らしすぎる成績を残しています。
3番の稲葉は.311 25HR 90打点で出塁率.379、5番の古田は.324 15HR 66打点でOPS.868と捕手としては破格の打棒でクリーンアップを担いました。
見た感じ30代前後の選手が多いですが期待の若手大砲もいます。
22歳の岩村明憲は.287 18HR 81打点、さらにチーム最多の15盗塁と攻撃面での活躍はもちろん、サードでゴールデングラブ賞を獲得。走攻守3拍子揃った選手でした。

7月11日の巨人戦、
この試合では相手先発上原浩治を捉え、稲葉・ペタジーニ・古田と3連発HR。
古田はこのHRが1500安打となった。

投手陣

今でもヤクルトを悩ます問題として投手力がありますが、この年のチーム防御率は3.48とリーグ1位。
先発は2年目の藤井秀悟が14勝で最多勝を獲得。28歳の石井一久が12勝を挙げるなど若手先発の頑張りもあり先発防御率はリーグ1位。
救援陣は若手では石井、五十嵐、河端龍が、中堅ベテランでは松田慎司、島田直也(横浜から移籍)、山本樹、高津臣吾が活躍。
なんといってもチーム内最多登板は山本の61登板でかなり救援陣全体で抑えられた登板数になっていると思います。
守護神の高津が37Sを挙げ、最優秀救援(セーブ)のタイトルを獲得しています。

ヤクルト 日本一の瞬間
石井一久(手前)と高津臣吾(奥)
高津が日本シリーズで胴上げ投手になるのはこれが4度目
いかにヤクルトが90年代に強かったかわかる。

シーズン

一応前提として頭に入れてほしいのが2001年シーズンの順位は勝利数順になっているということです。
開幕1ヶ月ほどは勝率5割で推移。その間に巨人が勝利数を伸ばします。
しかし5月後半からチーム状態が上向き、6月15日の広島戦から6月24日までの阪神戦で7連勝を記録。猛チャージで巨人を追うと6月中盤に巨人を(勝率で)抜きますが試合数の兼ね合いもありまだ2位でした。
巨人は10月1日にシーズン全試合を消化。75勝でシーズンを終えます。一方のヤクルトはこの時点で残り7試合であり、74勝であと2勝すれば優勝となります。そして6日の横浜戦で勝利。この時点で勝利数が並び、勝率も巨人を上回り優勝が決定しました。

日本シリーズではパ・リーグ優勝した近鉄と対決。

この年の近鉄は770得点とリーグ1位。チーム打率も.280でリーグ1位。
核弾頭の大村直之、繋ぎの水口栄二、55HRでHR王のT.ローズ、132打点で打点王を獲得した中村紀洋、得点圏.417の礒部公一、26HRの吉岡雄二、若手大砲の川口憲史などが並ぶとんでもなく強すぎる打線でした。

そんな近鉄の強力打線と対決する日本シリーズ初戦では石井一久が先発。
石井一久はこの近鉄打線を7回1アウトまでノーノー(最終的に8回12奪三振)するという素晴らしすぎる投球を見せると、近鉄先発のパウエルを捉え岩村のタイムリー、ラミレスの3ランHRなどで7点を取り、一方の近鉄は無得点に終わり7-0でヤクルトが勝利しました。

2戦目は最多勝の藤井が登板。ヤクルトは4回表まで4点リードするも、前日沈黙したいてまえ打線が奮起。6回裏は3点リードの場面で藤井から島田に交代。しかし水口に同点3ランを打たれると、8回にローズにも3ランHRを打たれ6-9で敗戦しました。

舞台を神宮に移しての3戦目は入来智が登板。ヤクルトは初回に2点を入れ、るも、5回に1点差に追いつかれると真中満が2ランを放ち突き放します。
一方狭いはずの神宮で近鉄打線は入来をあまり捉えきれず、近鉄は救援投手が打ち込まれ最終的に9-2でヤクルトが勝利しました。
ヤクルトはこれでシリーズ史上初の開幕から3試合連続6得点以上を記録しています。

4戦目は25歳で7勝を挙げた前田浩継が登板。相手は防御率5.89ながら12勝を挙げた前川勝彦でした。
その前川は6回途中1失点と(比較的)好投を見せるも、近鉄打線はローズのHRでの1得点のみと前田の前に沈黙。ヤクルトは同点の7回裏に代打の副島孔太がレフトポールギリギリに勝ち越しHRを放ち、そのまま勝利、日本一まであと1勝とします。

5戦目は8月に初登板を果たしながら5勝を挙げたK.ホッジスが登板。
初回から相手先発のパウエルを攻略。稲葉のタイムリー、ペタジーニ・古田の連続四球で満塁にすると岩村の2点タイムリーで3点を先制。以降は5回にローズの2点タイムリーで反撃を食らうもその後は抑え、ニューマン・河端・山本と繋ぎ、高津が最後9回を抑え4勝1敗で球団5度目の日本一に輝きました。

若松勉監督の胴上げ
この時ヤクルト選手たちが結束して若松監督を一回転させて胴上げしたらしい。
ちなみに若松監督は「ファンの皆様、おめでとうございます」と語り場内は爆笑。
なんと2001年の新語流行語大賞を受賞してしまった。
これ以降真中満・高津臣吾が監督時にチームは優勝しているがおんなじようなことを
コメントしていることから一種の伝統芸みたいな感じになっている。

いいなと思ったら応援しよう!