福祉サービスに対してのイメージ。
「福祉」と言う言葉を聞くと、皆さんはどんなイメージをお持ちでしょうか。
沖縄県人ではないのですが、少しゆかりがあるので、何となく沖縄の社会福祉協議会のページを見つけて参考にさせて頂きました。
なるほど、そういう意味なんですね。
問いかけておいて何ですが、わたしも多分答えられませんでしたね。恥ずかしながら、こんな仕事をしつつ、『「福祉」とは?』という問いを日々自分に向けていなかったことに気づきました。
『福祉の仕事をしています』とよく自己紹介の際には言いますし、福祉サービスを利用することに躊躇があるといった見学者や相談者さんからの声もよく聞きます。
わたしはいつも、
「人には様々な資源を活用できる権利があり、福祉サービスだろうが民間のサービスだろうが関係ない。何も資源を使わずに生きている人など居ないのだから、何か役に立ちそうだなとか、面白そうだなとか少しでも思える事があるのであれば使ってみたらいいんだ。」
とよくこれから利用するか悩んでいたり、渋々誰かに連れてこられたと率直に話してくれた人に対して伝えるようにしています。
今回改めて、「福祉」という言葉を国内でどんな風に示しているのだろうかと思って検索してみました。
こうやってみると、生をこの世に受けたすべての人にとって「福祉」というのは「よりよく生きる」「幸せである」そんな潜在的にそう在りたいと願っていることが実現された社会ということなのかなと思いました。
そう思うとわたしたちの日常のレベル感では、より狭義な意味合いで「福祉」という言葉を使ってるかもしれないなと、改めて思ってきました。
日本における福祉サービスや制度は、障害を持った時や高齢になった時、子ども、片親、経済的に困窮している、、、等
そういう状況に当てはまる人たちのものっていう風潮があるように思います。
ですが、改めて、言葉の意味から見てみると、わたしたちの一人一人の生きることに対しての姿勢そのものが福祉なのかなと思い始めました。
ーそんなところから、わたしたちが提供しているサービスとは何なのか?ー
「人々が幸せであるためにあるサービス」
「人々がよりよく生きるためのサービスが福祉サービス」
そんな風に捉え直してみると、何だかエネルギーに満ちる体験です。支援者ではなく、自分が利用者であるという視点からしても。
ですが、現実の社会ではそんな風かと言ったら、違った「福祉」への定義づけをし、関わっている人も少なくないはず。
このギャップをどう小さくしていけるだろうか。
地域包括ケアシステムの構築がここ数年の大きなテーマになっています。わたしもシステムを動かす支援者あり利用者です。
自分が利用するところに立ったとき、
・活用しやすい
・活用する価値を感じられる
・個人の尊厳を失うとか、能力がないとかそういう意味は一切なく、自分自身や置かれた状況を悪くせずに活用していいもの
と思ってもらえるようなサービスを提供しているか?
自分に問い続けてみようと心を新たにしました。
利用する人の周囲の環境が、利用のハードルとならないように。
地域のセーフティネット以上に、自分の生活を豊かにする資源として捉えてもらえるように。
まずは日々関わる機会を与えてもらってる目の前の人へ。
大きなコミュニティへの働きかけも勿論大切。
「木を見て森を見ず」ということわざもあるけれど、逆。
「森を見て木を見ず」ともならないように。
コミュニティは目の前の1人の集合体。
ですもんね。
まずはわたしの目の前でサービスを利用してくださっているあなたにできることを考えるソーシャルワーカーでありたい。
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