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精神科デイケアで「すま」が学んだこと(前半)

noteを初めて数ヶ月経過しましたが、1番読んで頂いている記事がデイケアに関してのようです。
単純に関心が多い方が母数として多くいらっしゃるのかもしれないのですが、おそらく私自身にとっても、それだけデイケアで活動した数年間は大きな財産となっており、それが拙い文章の中でも多少表現されているのかもしれません。

今日は、スタッフとしてデイケアで働く中で、スタッフ自身にとってのやりがいや、成長できることを個人の体験ではありますが振り返ってみようと思います。

過去のデイケアに関する記事もよろしければお読みください。



🔸どんな人にも誰かに影響できる素材をもっている

これは以前の記事でも書いたことも一部含まれています。

デイケアに勤め始めたばかりの頃の私は大学を卒業したばかり。社会人の厳しさも知りません。精神保健福祉士の国家資格は取得しましたが、実績ゼロ。国家資格は単なるラベルでしかなく、何者でもありませんでした。

『周りは専門職として関わってくるに違いないわけで、何とかそういうふうに見えるように頑張らないといけない。同僚はまだしも、メンバーさん達はそう見てくるんだから。』
これが、私の内面で毎日飛び交っていた会話でした。

そんな「こうでなければならない」という風な縛られた会話の中に居た私を開放してくれたのは他でもない、メンバー(利用者さん)達でした。

私の居たデイケアだけなのかもしれませんが、私のいたデイケアのメンバー達は、スタッフの職種に関係なく「デイケアスタッフ」という括りでメンバーさん達は呼んでいました。「元看護師さん」「元ワーカーさん」と彼らにとってはかつて専門職の人であり、彼らにとって職種間の違いで私たちを見ていませんでした。一長一短ではあると思いますが、私はかなり影響を受けていたと思います。各種専門職以外のアイデンティティがあるように見えたのです。

良い意味で、「こうでなければならない」というフレームを少し緩めて、専門職としての自分の発展と、自分ができることは何かに目を向けられるようになったと思います。

他にも、私を専門職というより「孫」のような扱いで可愛がってくれるメンバー、新人の教育係として振る舞いを諭してくれたり、私の良いところを伝えてくれるメンバーもいました。

同僚も、皆年齢も離れていましたが、とれもフランクな関係で、多少の無礼も気にしない寛大さがありました。
キャリアの差もありますが、関係ないという側面と、関係あるという側面を上手く使い分けてださっていた先輩方。伸び伸び働けるような影響を与えてもらっていました。

メンバー同士で刺激し合っている姿も多く目にしました。客観的に見ているとそれが分かるのですが、当のご本人は自分の行動や言葉が他のメンバーに影響を与えていることを受け取れず「そんなことない」と言っていましたが..。これはまるで私自身の普段の振る舞いを写しているようでした苦笑

精神保健福祉士の専門性のキーワードの一つに「人と環境の相互作用」というのがありますが、デイケアではたくさんの相互作用に触れる機会がありました。

本人が認める認めないに関わらず、どんな人にも他者に影響を与えられる。
時としてそれは、望ましくない方向と思えるものもありますが、ポイントは「全く影響を与えない」ということは無いのだという事。

だとしたら、「自分はどんな影響を与えたいかな?」
と考えるようになりましたし、私自身、根幹は「自分なんて対して人に影響するようなことはできない人間だ」というレッテルを放っておくと自分に貼る人間です。
でも、何かしらは影響を与えるから、何を与えているかを意識するようになりました。

能動的に自分が影響を与えられると思って活用した例で言うと、スポーツのプログラム。
私は高校までサッカーをやっていました。私はサッカーが好きでしたが、残念ながら運動神経は並以下で、体も小さく、本来スポーツマンとは程遠い身体能力でした。身長も低く、痩せ型。他の人が簡単にできることが、私にはできないし、足が遅いと文句を言われても足が速くなるという分野は成果が起こりづらい。

でも、そんな中で試行錯誤してきた経験をデイケアで生かす事ができるんじゃないか?とある時思いました。
私はサッカーを通じてコンプレックスだった身体能力や容姿を克服することはできませんでしたが、受け入れることができるようになりました。
フィールドが変われば、この身体能力や容姿だったからこそ、見える世界を利用できる機会があります。
私はスポーツのプログラムをはじめとして、練習して上手くなっていくという過程をとても意図的にメンバーにフィードバックしていきました。
その結果、ここを一つの自信にして色々なことにメンバーが意欲的になったり、就活を始める過程での自己分析に役立てているメンバー達を現すことができました。

これは、”自分自身が社会資源であれる”という一つの喜びを与えてくれる経験となりました。


🔸どんな価値を自分でつくって参加できるかの方が、用意された内容よりも遥かに返ってくるものがある

デイケアでは様々なプログラムがあったり、メンバーによっても参加中の参加の仕方は様々です。もちろん、体調によって影響するという面も大いにありますが、そうでないところも非常にあるように見えました。

同じプログラムでも、楽しいと感じるメンバーもいれば、つまらない、くだらないと感じるメンバーもいます。
見学対応などでは、プログラム名と実際の活動について聞いて、「もっと高度なものをやっていると思った…」と若干がっかりされることもありました。

私が数年間、プログラムへの参加や、デイケア自体に来ることに関してメンバーと対話をしていた中で学んだのは、用意されたもののクオリティーよりも、その方自身が自分で価値を見出し、クオリティーのあるものにして参加することからの方の方が、自身の回復を感じていたり、就労などの新たなステップに踏み出す可能性が高いということでした。

例えば、習字のプログラム。
社会に復帰する上で、何故習字なんてやらないといけないのか?という人もいました。一方で毎回必ず参加しているメンバーもいます。私はある時、聞いてみました。

「毎週続けられるのは何故ですか?」と。

その方は別に習字は好きでは無いそうです。ただ、「集中できるので」と言っていました。その方にとっては集中力を養う機会だったのです。時にすぐにやめてしまう日もありました。そんな時は、今日はあまり調子が良く無いんだなと、自身のバロメーターにし、その時なりの過ごし方をデイケアの中でされていました。

一つ目の方でも書いた、スポーツプログラムもそうでした。
意図的に練習して上手くなっていく過程を通じて、何人かのメンバーは自分の中にある「向上心」「上手く行かない時のメンタルコントロール」「教えてもらうこと」「実際に向上していくことの実体験」と言ったそれぞれがこのプログラムの参加から得ているものにも着目してましたし、そのうちに他のプログラム内でも汎化していたり、ご自身の将来の目標にも結びつけられるようになっていました。

プログラムが魅力的になるよう日々改良していく努力も必要ですが、利用するメンバー一人一人が、その人にとって魅力的に見えたり、やりがいを見出せるようにプログラムをプレゼンテーションしたり、対話を通じて一緒に価値を見つけた上で参加を選べるような関わりをすることが私たちの仕事の一つだと思っています。

そのことにいつも私自身もチャレンジしていました。
残念ながら全ての人にそのような価値を見出せるように対話はできませんでした。
私の力量不足でした。ですが、チャレンジしていました。

当時はデイケアの中でだけでの実践でしたが、その後他部署に行き、対象とするサービスや人が変わっても、この視点と実践力の拡大をいつも必要と感じています。
今振り返れば、デイケアでの日々の実践が、今現在の私の仕事の大きな土台になっています。


今回の記事ではここまで。

次回ではないかもしれませんが、また、そのうちに言葉にできれなと思います。
読んでいただき、ありがとうございました。

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