「土偶やっぱりカワイイ」について
僕の実家はバブル期に小高い森を切り開いた郊外の新興住宅地で、(駅から離れ利便性に難がある)かつては賑わっていたそこは、令和の今となっては住民の高齢化が進んでいるようだ。
日本全国でも同じ傾向らしいが、今の現役世代は多少狭かろうが値段が高かろうが駅近に居を構えるという。現にうちの最寄りの駅周りはマンションばかりがポコポコ建てられ、建物が完成する前に全部屋完売することも多いと不動産屋の知り合いが言っていたな。
なんでその郊外の実家のことを思い返したかというと、その新興住宅地が広がる土地には縄文時代中期から後期にかけての大型集落跡があり、300もの竪穴住居跡や土器、石器など多量の遺物が見つかったという。
小学生の頃、学校の先生から「あの辺りは今でも土器が一杯出てくるよ」と言われて、後日友達と家の近所の空き地の土を少し掘り返すと土器の破片が沢山出てきた。最初に3センチ四方ほどの明らかに縄模様の付いた破片を見つけた時、えらく興奮したことを今でも覚えているが、その後2人で100個位の土器片を見つけた頃にはすでにありがたみは無くなっていた。「世紀の大発見があるかも!」と意気込んでいたがそんなに甘くは無く、日が暮れる頃 発掘した土器片はとりあえず友達と山分けして帰宅したのだ。
その日の僕は縄文人に近づいた気がした。
実家にはあの土器片の詰まったアルミ缶が物置の奥にまだ眠っていると思う。
2021年に「北海道・北東北の縄文遺跡群」が世界文化遺産に登録され、その影響もあり、青森に訪れた際 いくつかの縄文遺跡群を周ってみたところ、どこの施設もとても面白く、特に土器や土偶の芸術性にとても心惹かれた。
土偶といえば(青森県つがる市の亀ヶ岡遺跡で発掘された)遮光器土偶が有名だが、というか世間一般では『土偶』といえば その特徴的な姿をした遮光器土偶くらいしか知られていないのでは無いだろうか。
現在まで発見された土偶は、全国で2万点を超えるという。だがそのほとんどは意図的に破壊されており 原型を留めているものは数少なく、かつ芸術的に美しさを兼ね備えている個体は数えるほどしか見当たらない。
去年、青森県八戸市にある是川縄文館でガラスケースに鎮座した国宝『合掌土偶』にとても見惚れてしまって、何千年という時空を超えた存在に なんとも言えぬ感覚を覚えた。(20数年前に海老名サービスエリアで、プライベートであろう安室奈美恵を間近で見て以来の見惚れだった…)
そんな美しさを兼ね備えた土偶だが、現在国宝に指定されているものは5体あり、
①青森県八戸市風張遺跡の『合掌土偶』
②北海道南茅部町著保内野遺跡の『中空土偶』
③山形県最上郡舟形町西の前遺跡の『縄文の女神』
④長野県茅野市棚畑遺跡の『縄文のビーナス』
⑤長野県茅野市中ッ原遺跡の『仮面の女神』
あの有名な『遮光器土偶』が国宝指定されていないのが意外な気がしたが、第一条件として、「どこからどういう状況で出土し、その記録があること」が考古の国宝の基本だという。出土状況がはっきりしない(一般人が畑を耕している時に見つけて、それをずっと家の床の間に飾っていたという)遮光器土偶は少し不遇な存在となっている。
尖石縄文考古館に行ってきた
ということで先日、中央道を西に飛ばして長野県茅野市に行ってきました。茅野市にある「尖石縄文考古館」に国宝土偶が2体も展示されていることを知り、近いうちに行ってみるかと思っていたのです。
ちなみに長野県は博物館・美術館の数が日本一で、日本の美術館の10%は長野県にあるそうです。避暑地としても知られる穏やかな雰囲気の高原が広がる場所にはそういう施設がとてもよく似合う。
館内には近隣遺跡で発掘された土器や土偶類の発掘品が詳しい解説と共に展示されており、それらをきちんと見てまわるには数時間かかりそうだ。
『縄文のビーナス』は高さ27センチ、重量2.1キロ。壊されることなく見つかった数少ない土偶であり、一番最初に国宝指定された土偶である。妊婦を模ったと思われる土偶は多いが、縄文のビーナスの造形はまさにそれだ。
この土偶を造った人や、(壊されることもなく特別扱いされたであろう)この土偶を見つめてきた当時の人達の想いが時間を超えて伝わってくる気がした。
この柔らかな身体のラインよ。美しい。
『仮面の女神』は高さ34センチ。中ッ原遺跡の中央に広がる墓が密集した場所から見つかった。
一見して思う異様な三角形の顔面は仮面のようで、頭に紐で括られていることが見て分かる。それにしてもこの造形。現代アートでは決して出会うことのないものだ。
なんかガンダムに出てくるモビルアーマーっぽいなと思った。お腹のポッチはメガ粒子砲なのだろうな。ゼロレンジからのビーム攻撃を無効化できないという弱点がありそうだ。
縄文時代には土偶職人という人が居たのだろうか。「あの集落の職人に土偶を造ってもらいたい!」とか当時の人達は思っていたのだろうか?
『縄文のビーナス』とか『仮面の女神』を造った人が、その一体の土偶しか造らなかったなんてことは無いだろうし、職人に造ってもらったものを壊すのが忍びなくて、造ってもらったままの状態で土の中にまだ眠っている美しい土偶がまだまだあるのかもしれない。
そんな美しい土偶がこれから見つかれば、縄文時代のことをもっと知ることができるのだろう。なんか考古学って面白そうだね。
縄文時代には文字が無く、その時代を理解するには想像を膨らませることが重要だし、それはとても面白い。
色々な出土品を間近で見るとその時代のことや、それを手にしていた人達の思いに近づける気がする。
今の時代インターネットを開けば何でもわかった気になるけど、実際にそこに行ったり、見たり、触れてみないと物事の本質ってわからない気がするのよね。
その日テンションの高まった僕は、帰りに売店で土偶のフィギュアを2体買うこととなる。1体4,300円もしたけど、結構リアルで気に入っている。高かったけど…
次は『縄文の女神』と『中空土偶』を見てみたい。このテンションでいくと彼女たちに出会うのはそう遠くはなさそうだ。