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【MBTI】N型に必要不可欠なもの

 ※毎度毎度の注釈になりますが、筆者はMBTIに関しては完全に独学であり、情報が偏っていたり間違っていたりする可能性があります。ご了承の上、読み進めていただきたいです。


 MBTIの中でも、SN軸というのはおそらく4つの軸の中で最も理解が難しい軸ではないかと思われる。私自身も未だしっくりくる説明に出会えていないこともあり、自分の中でも完璧に理解できているとは到底言えない状況であり、そしてこれから展開していく話が全くもってのでたらめである可能性もある。しかし、最近多くのS型と思われる人間と関わる機会もあり、またnoteに大量に生息しているN型の動向を見て、N型はあるものがなくなると生きていけなくなるだろうなというのを感じたのだ。それは・・・・・・








「語彙力」である。


 そもそもだが、S型とN型のコミュニケーションとして、S型は非言語的コミュニケーションが、N型は言語的コミュニケーションが得意だということはよく聞く。まあそれを考えると当たり前っちゃ当たり前のことではあるのだが、今回はここに関して自分の足りない頭を使って頑張って掘り下げていきたいと思う。

 N型にとって語彙力というのは必要不可欠であるのだが、決してS型にも全く不要だというわけではない。それでもS型はN型よりも語彙力にさほど重きを置く必要性があまりないと考えられる。ちなみに今回S型N型という表現を使っていくが、これは必ずしもS型の人間N型の人間を指す単語ではない。S型的要素の強い状況、N型的要素の強い状況という意味合いを含む場合がある。というか恐らくそっちが主体である。その点をご了承いただきたい。

 私が例によってTwitterを物色していた時、気になるツイートが目に留まった。それは「エモい、とかヤバい、とか意味を自分で具体的に説明できない語句を使うのはよくない」といった内容だったのだが、おそらくこれはかなりS型N型の語彙に関するスタンスが現れていると思う。
 特にヤバいに関しては語彙力を低下させられるという理由で一時期本当に話題になり、私が中学1年生の時にそれを危惧した担任が「金曜日は『やばい』って言うの禁止にしよう。語彙力が下がるから。ヤバい禁止のヤバ金ね」とかなんとか言ってヤバいを言ってはいけないという謎のルールを作っていた。

 まあその担任の詳しい性格とかはもうほとんど覚えていないため、その教師のMBTIタイプを考えよと言われても無理なのだが、教育現場は往々にしてN型の空気が強い場所だ。この発言というか発想も十分にN型的だと思う。

 ではS型から見たこの「やばい」はどういう意味合いを持った単語かというと、恐らく非常に便利な単語だという認識ではないだろうか。

 S型は感覚的、N型は直観的という訳が割り振られているため、非常にこれがややこしいものではあるのだが、S型の「感覚的」というのは「五感的」とも言い換えられるのではないかと考えている。S型が非言語的コミュニケーションが得意だというのはこういった点に基づいているのだろう。筆者がENTPでN型であるため、さっきから回りくどい言い方しかできていないのが申し訳ないのだが、おそらくS型にとっては言語よりも画像だとか音声だとかそういった五感的データというのが重要なのではないか。それが顕著に表れているのが、InstagramやTikTok、最近だとBeRealといった明らかにS型の要素が強いSNSである。

 こういったSNSにおいて、言語というのはそこまで重要視されないように思える。むしろ重視されるのは画像や動画の質だ。S型にとっての言語の認識は、画像や動画だけでは説明しきれない情報を補足するもの、というのがあるのではないかと思う。

 さて、「やばい」に話を戻すと、この単語は使われたシチュエーションによって意味が大きく左右されてしまう。また、「やばい」がどういった声色で言われたかなどによっても意味は変わる。すさまじく共時性の強い単語だ。そして、S型にとってこの単語は非常に使い勝手がいいに違いない。彼らは、「その時その場で起きたことを感じ、楽しむ」タイプだ。「やばい」は様々な場面で利用できるうえに声色などで意味合いを調整できる。その場にいる人間にはそれがどういう意味合いなのかすぐに察せられるであろう。さらに、この「やばい」という単語はたった3文字である。言うのは一瞬だ。目まぐるしく状況が変わる中でも即座に言葉として出すことができ、コミュニケーションを図ることができる。こんなに便利な単語はないだろう。逆に豊富な語彙を持っていたとして、その時感じたことを多様な語彙を用いて様々に表現している間に、おそらくまた新しく何か感じることも出てくる。ならば短く、それでいて多義的で、相手が誰であろうと伝わる単語というのは非常に使い勝手がいいものだ。「やばい」が多用されるのも、ある意味必然だと言えるのだ。


 さて、N型はS型と比較して通時性が非常に高い。残念ながら、五感は通時性というものは低いものだ。時を越えてコミュニケーションを取る場合、あるいはインターネットのように場所を越える場合も言語というのは必要不可欠である。N型の要素が顕著に表れるSNSと言えば、やはりTwitter、そして今あなたがご覧になっているnoteなどのブログ系だろう。もはやこのSNSは文字がないと成り立たないのである。

 こういったSNSで「やばい」を投稿したとて、それは「何かあった」程度の情報しか発信できない。声色の調節といった手段なども全く使えない。こういったSNSでは五感で使えるのは視覚だけであり、何なら視覚すら使えないと言ってもいいだろう。そこに横たわっているのは文字だけなのだから。

 ちなみにこの語彙の必要性だが、NT型とNF型では多少意味合いが異なってくるのではないかと考えている。NT型にとって重要なことは物事を一切の誤解が無いよう、穴が無いように説明することである。彼らにとって必要な語彙力というのはより適切な意味合いを持つ単語を選ぶということだ。要は、最もニュアンスが正しく伝わる言葉を選ぶために必要な語彙力である。だからNT型というのは他のタイプに比べて日常会話で四字熟語や諺、慣用句を使う頻度が極端に多いのではないかと勝手に踏んでいる。というか私がそういう状況である。あとは、NT型の会話の中でもう一つ特徴的なのが、やたらとたとえ話が多いということである。ある文章を発したとして、それが理解しにくいもの、あるいはいくつかの方向性を与えてしまう可能性があるときにNT型という人種はたとえ話を使ってその方向を絞りにかかる。話の聞き手からするとかえって分かりにくいように思える独特のたとえ話は、本人の頭の中ではきっちりつながっているのである。

 少し話は逸れたが、NT型は言語を説明に使う傾向がある。一方で、NF型はもう少しポエミーというか、詩的なのである。NT型がたとえ話を補足的に使うのに対し、NF型の用いるそれはおそらく暗喩に近い。NT型は文章の体はそこまで気にしないがとにかく説明ができていること、論理的であることを重視するのに対し、NF型は文章そのもので表現をしようとするのだ。文章の表現の美しさを重視する、あるいは文章の深いところに込めた思いというのをいかに魅力的な単語で綴るか、といった方向性に向けられる印象があるのである。NT型が政治批判をするならたとえ言論統制が掛けられていた戦時中でも白昼堂々と「○○の政策は△△という点で悪い、よって改善策は~~」といった感じで批判するが、NF型は一見家族愛を歌っておきながらその裏に政治家に対する強烈なメッセージがあるといったそんな感じであろうか。語彙力と言っても単純に単語量を増やすというよりは文章の組み立て方とかを工夫する必要があるタイプだろうと思う。

 というわけで、S型とN型の違いが現れるのは、言語に関するスタンスであると考える。

 ちなみに余談であるが、筆者は最近メルボルンに行った。詳しくは当該記事を読んでいただきたいのだが、まあそこの話は置いておいて。
 そこで分かったのは、海外に行く際にその国の言語をあまり自由に使いこなせないN型はだいぶ詰むということである。行ったのが英語圏というこれまたよく非言語的コミュニケーションを使う国だったのがよくなかったというのもあるかもしれないが、ただでさえN型にとってコミュニケーションにおけるほぼ唯一と言ってもいい手段の言語が封じられてしまう以上翻訳アプリを使わないと死んでしまう。ところがその翻訳アプリもまだまだ正確ではない。せめて英語が使えないとしんどい。というわけで、N型が海外旅行に行くにあたっては、S型よりも英語の習得の必要性が増すのである。身振り手振りで何とかなるという言葉を信用してはいけない。N型にとって身振り手振りは日本にいてもそこまで得意なものではないだろうから。



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