ドラクエって芸術作品
今回の記事は「ドラゴンクエストユアストーリー」の軽いネタバレを含むかも知れません。
完全に情報をシャットダウンしたい人は、ここから先を見らずに、他の記事を是非読んでください。笑
「作品というものは作った瞬間、作った人間の手を離れてしまう。それは見た人それぞれ、個々のものになるんです」
この一文は、らき☆すたやハルヒの監督として活躍された武本康弘監督の言葉です。
受取手によって、感じ方が変わって行くというのは、芸術作品としての宿命だと思います。
逆に、受取手によって感じ方が異なるものは、立派な「芸術」だという裏付けなのだろうとも思います。
こう考えると、ドラクエⅤは芸術だったのだなと感じました。
このように感じたのは、本日観たドラゴンクエスト ユアストーリーの影響です。
ドラゴンクエスト ユアストーリーは、ドラクエⅤをモチーフにして作られており、本筋のストーリーの流れは被せています。
しかし、この映画内の主人公は、ドラクエⅤと違って自分の「意思」を持ち、「台詞」を喋るのです。
それも、僕がプレイしていたときのイメージしているものと違うことを
このときに、先程の武本さんの言葉が蘇り、「そうか、ドラクエⅤにはこのような見方をした人もいるのか」と思ったのです。
ドラゴンクエストは、主人公が一切セリフを言わない特徴的なゲームです。(ツウな人、一回だけ話すシーンがあるってツッコミ入れないでください)
これは、プレイしている人が勇者に感情移入しやすいように、という配慮を製作者がしているからです。
200万人以上プレイ者がいるドラクエⅤに、200万人分のドラクエⅤの主人公のイメージがあるのは当たり前です。
映画の主人公の考え方もドラクエⅤのひとつの見方と考えたら、やっぱりドラクエⅤって底が見えない作品だなとさらに感心しました。
元々ゲームは芸術だと思っていましたが、これほど感性によって見方が変わるとは、ドラクエⅤは立派な芸術作品だと感じます。
ドラゴンクエスト ユアストーリーは、音楽や映像が懐かしさと迫力の両方を感じられる素晴らしいできます。
ドラクエⅤをやった人はもちろん、やったことない人でも臨場感を楽しめるので映画館でみてほしいです。
個人的には、主人公がターバンを外してから物語が変わり始めた(ユアストーリーが始まった)感じがしたのに、監督のこだわりを感じました。
ドラクエⅤ、ドラゴンクエスト ユアストーリーどちらも私の一押し作品です。