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人間関係とかけまして、肛門と解きます

その心は、どちらも「疲れると切れる」でしょう。

待ってください、閉じないで。いや、閉じても良いんですけど、閉じられても仕方のないクソみたいな出だしなんですけど(肛門だけに)、ちゃんと中身あるんで。

いやこの流れの「中身」ってそれはもうクソじゃん、と微笑してしまった自分のくだらなさよ。noteってこんなに肛門とかクソとか連呼しても良いんでしたっけ。

本題に入ると、この肛門謎かけ(そんなジャンルはない)は、ある日布団の中で、もうそろそろ眠りに落ちるぞ〜とまどろんでいる最中に、思考の遠くの方から迫ってきまして。そんで翌朝もまだ頭の中に居座っていたので、ここで供養させてもらおうかなと。

と言いますのも、なかなか切れ痔が治らないんです。年末にやってしまってからおよそ一ヶ月間、治りかけては決壊を繰り返し、今日に至ります。治癒が排便に追いつかんのです。

そしてこの時期、私はお布団に湯たんぽを入れてぬくぬくにして眠るのですが、この暖かさによって治りかけのかさぶたが痒くて痒くて(ほんと何の話だよってかんじですよねすんません)(切れ痔界隈の方なら分かってくれるはず)。

初めて切れ痔を発症したのは、新入社員の頃でした(お付き合いください)。もともと便秘がちだったうえに、初めて社会に出たぴよぴよの赤ん坊はそれはそれはストレスを感じてしまい、もうそれはそれは便が出ない。一週間に一度出れば良い方、みたいな生活が続いた。とどまるところを知らない便秘(いやとどまってんだけど便は)。

で、そうするとやっと出る便がさ、ダイヤモンドのように固く、北九州のヤンキーくらい鋭利。我が肛門、あえなく敗北。ウォールマリアは破られた。

そしてそれからも仕事が忙しいとケツが切れる生活を続けてきていて、昨年末に仕事が急増したのをきっかけに久しぶりの再来。治りそうになってはダイヤモンド、治りそうになってはヤンキー、という感じです現在に至るというわけ。



で、人間関係も「疲れると切れちゃう」よなと思った出来事があって。

最近私は仕事が忙しくて、パートナーを思いやることを後回しにしてしまっていた。今となっては全て言い訳だけど、時間も体力も余裕がなくて、自分を優先していないと仕事が破綻してしまいそうだった。

結果、おでかけをしても私が体調を崩してしまったり、会話が続かなかったり、なんとなくぎくしゃくした雰囲気でしばらく過ごしていた。

まあ私の仕事が落ち着いて余裕ができてきたら、何事もなかったかのように前みたいにお喋りする仲に戻っていくんだろうなと楽観していたのだけど、あんまり戻らず。その関係自体にストレスを感じてしまってさらに余裕がなくなる、と私が負のループに陥っていく始末。

でも正直悪いのは私だしな、私に余裕がありさえすればな、と思うようにしていたけれど、正直彼にも不満はある。でも、それは彼が悪いとかいう話ではなくて、私が勝手に彼に求めてしまっているだけのものごとであって、押し付けるのは違うんだよな。だから私の中で消化していこう、そう思っているうちに時が経ち、結局消化し切れずにぎくしゃくという形で表に現れてきてしまった。

こうなるまで話をできなかった理由は薄々気づいていたけれど、傷つけたくなかったんじゃなくて、傷つきたくなかったからだ。二人の関係を良くしていくことよりも、自分を守ることを優先していたからだ。完全に保身だった。

それはやっぱり、毎日が大変で、疲れてしまっていて、自分を回復させるのに必死だったからだ。疲れは諸悪の根源、余裕は万物の女神だ。優しさって努力でできていて、努力って体力でできているんだよね。疲れてしまうと、人に優しくできない。

でもそれは、私のありたい姿じゃない。二人の目指したい関係じゃない。きっと彼もそう思ってくれると信じられたので、ぽつぽつと自分の気持ちと彼への不満を話して、彼にも考えを話してもらって、思いやりを大切にしていきたいよねって改めて確認できた。

普段あまり不満を言ってくれない彼も、私に触発されてかいくつか言ってくれて、それが何だか嬉しかった。(「最近夜風がすぐ体調崩すから、おでかけが介護みたいになってるよ」と言われたのは笑ってしまった。)

今回私は、彼との関係を続けたいという明確で強い意志があったからこそ切れることはなかったけど、ここまで大切な関係じゃないものについては「疲れ」で切れちゃうんだろうなあって、そう思ったのでした。

ほら、肛門も、人間関係も、「疲れたら切れる」だったでしょ?



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