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大切を大切にできていない日々


その感情は、大きなうずくまっている、熊。

泥だらけで、無表情で、何日もごはんを食べていない。

とても大きくて、存在感がある。車くらい大きい。

居座られると、それしか見えなくなるし、そこから目を逸らせなくなる。

どんよりしている。

怖いと、嫌だと、辛いと、しんどいと、悲しいの混ざり合った、触るとざらざらとしている感情。

重たい鉛が心臓に詰まっているようで、動くとずくんと痛む。

これがあると、息を吸うのが難しくなる。

どんよりとした雲が、膜がかかったようで、心がそこから出られなくて、ぐるぐるともがき続けている。

眠ってしまって、知らなかったことにしたくなる。



原因は、何だろう?

今の私の生活は、客観的に見れば恵まれていて穏やかだ。

居心地のよい家があって、十分に暮らせるお金があって、人間関係の良いホワイトな会社に勤めていて、本や台所や植物といった好きに囲まれていて、週末はピラティスをしたり自然に身を置いたりして、たまに旅行をして生きている。

彼もいる。こんな状態の私に嫌な顔一つ向けず、信じて待っていてくれている。



何が不満なんだろう。何が足りないんだろう。

今に目を向ければ、こんなにも足りているはずなのに、心が穏やかの方へ動かなくて、どんよりの方ばかりに囚われてしまう日々。

虚像でしかないしんどさに、こんなにも視界を奪われる。

抗うつ剤を抜くと、こんなにも私は弱いのか。

悔しい。悲しい。

何もいらなかったから、健康な心だけが欲しかった。

何もいらなかった、不幸も、幸せも、生きるも。



どうして健やかに生きられないんだろう。

数カ月前、仕事を休んで療養に専念していたころのノートを読んだ。

別人だった。

あの頃の大丈夫を全て忘れてしまっていて、あの頃の手触り感のある自分をこれっぽっちも思い出せなくて、また暗闇に囚われて出られなくなっていることが、過去の自分の見出した意味を大切にできなかった自分が、情けなくてふがいなくて悲しくて申し訳なくて。

また、目を伏せてやり過ごすしかなくなってしまっている。



どうやったら過去や未来に囚われなくなるだろう。

将来が怖い。健康でいられるか、生きる意味はあるのか、死ぬときにそれまでの選択を後悔しないか。

過去が重い。もっとよく生きられなかったか。不遇さを一生悔やんでいくのか。選んできた道が間違っていなかったか。

考えても仕方のないこと、で片付けられがちなあれこれを、私は途方もなく考える。

だってこれが、今の私にとっては、そのままの私と向き合うことだから、自分を大切にすることであってしまっているから。

自傷行為でしかないのも分かっているけど、これしかない。

これを否定したり見なかったことにするのは、自分を無視することと同義だから。

向き合い切って、咀嚼して、どろどろになるまで消化して、自力で浄化するしかない。




そうできてはじめて、熊のような曇り空が風に流されて、晴れ間が見えると信じている。信じることを、自分を信じることを諦めきれないから、今日も明日もこれからも、私はぐるぐると考え続ける。

いつかここから抜け出して、Happyと安寧の方を向いていられる日が来ることを願って。


2024.07.22 朝のジャーナリングを漂流



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