ないものねだりだけど、もう少し苦しませてほしい
音楽ものの作品が苦手だ。
中学校に入ったら、吹奏楽部に入りたかった。楽器を極めてレベルを上げるのは楽しそうに見えたし、集団で一つのモノを作って熱くなるのって大好きな営みだし、青くて泥臭い人間関係にも憧れがあった。やってみたい、触りたい、一員になりたいと、中学校の門をくぐりながら思った。
でも、入らなかった。親に「あんたは体力がないから向いてないんじゃない」と言われた。楽器系はお金がかかりそうなイメージもあったのも、日々「お金がない」と言い聞かされてきた自分には後ろめたかった。自分とは程遠い、入れない世界なんだなって納得して、あっさりと諦めた。
親が世界のほとんどを占めていた、親の言うことが私にとっての正解だと刷り込まれていた当時の私にとって、諦めることは苦でもなんでもなかったし、あんまり何も考えずに、挑戦するのを辞めた。
でも、今になって、大人になって、当時のことがよく蘇る。だらだら過ごしたとくに何の記憶もない3年間、部活をやっているクラスメイトがきらきらと輝いて見えて後悔し続けたこと、憧れと諦めにまとわれた校門の風景。
あっさり諦められたと思っていたけど、たぶん本当は「やりたい」って強く思っていて、でもやれないから、「やりたい」をさっさと手放してしんどくならないようにするしかなくて。
小さい私が今でも泣いている。やれなかったことに対してではなく、「やりたい」を無視されたことに対して。そんな類のことを、私は沢山抱えてしまっていて、心臓の底がずっと腐り続けている。
本当は勉強ばかりではなくもっと友達と遊んでみたかった。本当はパティシエか保育士になりたかった。本当は大学で食か心理学の勉強がしたかった。本当は研究に打ち込みたかった。本当は子どもが欲しいし、それを許せる自分でありたかった。
物心ついてから自分より他人の感情に目を配るしなかった私は、自分でも自分のことがよくわからないままこれまで生きてきていて、正しい道に見える方が正解だと思い込んで選び続けてきて、その結果の現在地ではおおよそ後悔して苦しんでいて。
過去を悔やむときのたいていは、現状に満足できていないことが原因なのは分かっている。平日は耐え忍んで、週末のために生きのびて、でも2日経ったらまた耐え忍ぶ毎日、それがいつまでも繰り返される。疲れた。
でも、いつも正しいと思える道ばかりを選んできてしまったせいで、自分が満足してくれる方角がどっちなのか、もう全く分からない。好きなことも、得意なことも、できることも。自分が誰なのかが、全然分からない。
どうせ無駄だ、私は一生しんどい、だって今までもそうだったから。普通に生きるとか、楽しく生きるとか、そんなの無理だったんだよ。何を手にしても、どんなに恵まれても、たぶん無理なんだよ。今だって、持っているものを数えたら充分に見えるのに、でもしんどさは消えなくて、死ねないから生きているだけで、毎日折れる心をどうにか修復して、普通のふりをして立っていることしかできない。
子どものうちに済ませておくべき問だったということは、痛いほど分かっている。でも、子どもらしく生きることを許されなかった自分には、そんなチャンスは与えられていなかった。自分を肯定する存在と対話できてこなかった自分には、そんなエネルギーは沸いてこなかった。
今からでも動けばいいんだってことも、分かってるよ。でも、そういうことじゃない。そういうことじゃないんだよ。きっと何を手に入れたって無駄なんだって思ってしまう自分の現状が、やるせなくてやるせなくて、何かのせいにしたくて、小さい私がずっと報われないで泣いているのが苦しくて苦しい。
はやく楽になりたい。親を許したい。自分が許されたい。ここから出る術が分からない。もがき続けるのに、もう疲れてしまった。もう人生が、いらない。
ユーフォ3期を毎週楽しんで見ていた最近は、素直にぶつかりながら生きている作品の中の人間たちに当てられて、過去の自分と無理やり対峙させられてしまってこんな感じで苦しかった。ややこしい人間コンテストがあったら、私は日本代表になれるんだろうな。