私の鈴木その子物語
実に久しぶりに銀座のSONOKOの店に行った。
なぜ足が向いたのかは分からない。
大阪へ帰るまでの新幹線には少し早い。
資生堂パーラーにでも寄って帰ろうかと思って銀座で降りた。でも足は銀座三越へ向いて行った。三越の向かいにSONOKOがある。
鈴木その子は「痩せたい人は食べなさい」という斬新なダイエット法で話題になった。
その後、美白の女王で白塗りの顔にライトを顔に当てて「笑っていいとも!」やバラエティに出たことで認知度が上がった。
しかし、摂食障害の人は、この本で鈴木その子を知ったのではないでしょうか?
摂食障害という病気がまだ日本では珍しく、過食嘔吐や拒食症の人すら、自分が病気だと分からずにもがき苦しんでいた。
その時にこの本が出たのだ。鈴木その子自身の息子が拒食症で亡くなる衝撃的な内容と摂食障害になる原因と改善方法が書いてある。
摂食障害の人は「自分は病気だったのだ、そして治るのだ!」と、一筋の希望を見つけたに違いない。
こうして鈴木その子は摂食障害のパイオニアになった。
摂食障害の人は食べる量がわからなくなっている。
それを鈴木その子は、ご飯は180g、おかずはコレ、間食はコレと決めたのだ。エサのように脳にブドウ糖である白米を入れてあげなさい、点滴もブドウ糖でしょ?と。
鈴木その子が動物園でエサの時間が決まってるのを見てこのように、ひらめいたたらしい。
食べる事に恐怖心のある摂食障害の人は、厳格に守り買い続ける。1週間セット、8週間セットと7万であろうが8万であろうが、食べることをパイオニアが許可してくれたのだから安いと思うのだろう。
この徹底してしまう思考が摂食障害になる一番の原因なのだが販売する側にはうってつけである。
今では、良質なオイルは体にいいという情報は多くに広がる。
しかし鈴木その子といえば、徹底的な油抜き。
そして無添加。
農薬や添加物への危険性がグンっと高まり、誰もがSNSで情報を得れる時代により、国産で無添加で、抗生物質やホルモン剤は油に入り込むので、ノンオイルの鈴木その子の食品は、”健康のためなら死んでもいい‘’という、健康オタクと摂食障害者に支持されていく。
銀座や浜松町に、お店やサロンがあり高級感があるのも、人を惹きつける。
鈴木その子自身の実家が裕福であるからであろう。
家具や調度品や食器なども高価な物で鈴木その子が付けている宝石も豪華絢爛だ。宝石も販売しており、フランス人形も昔は売っていた。
ヨーロッパ調の豪華な宝石や雰囲気は女ゴコロはくすぐられる。
客層は、長年見ているとお金持ちマダムも多かった。価格帯が高額なので、自然とそうなるのだろう。薄利多売より、コスパはいい。
お金持ち相手の方がクレームも少ないだろう。
そんな風にして、バブルの余韻の時代でもあり爆発的に伸びたのだが、、、、、、
鈴木その子が亡くなってしまう。
1980年にやせたい人は食べなさいでミリオンセラーになり、1990年後半に美白の女王としてバラエティーで認知度を広め、1999年3月に亡くなってしまったのだ。
健康を売りにしてたのに、亡くなってしまう。
カリスマ性があり、鈴木その子がいるからこその会社だったのに、あまりにも早くになくなってしまう。
その後、私が知る限り、社長がコロコロ変わったり、ソノコに何の関係もない女優が入ってきたりで、私のような最初の会員は、裏切りのようなものを感じ離れてしまう。
決定的だったのは、鈴木その子の片腕の社員が辞めたからだ。
もう、会社は変わってしまったのだと古い会員は思ったのだろう。
鈴木その子の片腕であった坂本さんは今はどうされているのだろうか。
何があったから辞めたのだろうか。
その後、本を出されているが彼女こそが理論を受け継げる人だと思うので彼女の理論で活動してほしい。
そんな思いが私の奥底であったのだろう。
10年以上を経て三越前のソノコに来たのだ。
お客さんは多く入っていた。
二階の会員だけのスペースには、お婆ちゃんや高齢の人がチラホラ。
若いスタッフが昔の会員さんも戻って来てくれてますと言っていた。
そうだろうな。
そう思ったのは、久しぶりのソノコの食品。
美味しかった。
私のように、やっぱり何か気になると来て食べるとリピートしてしまうのだろう。
若いスタッフが私の古い会員番号を見て丁寧に対応してくれた。そして、ソノコの会報誌を渡してくれた。
昔のスタッフの名前を二人だが見つけた。
坂本さんは辞めたけど、残ってる人も居たんだ。
何十年も前に私がその子の献立セットを買っだ時に手紙を入れてくれたスタッフだった。
現在は、その子の重鎮のポジションのようで嬉しかった。
お家騒動でごたつき、信念のない者が引っ掻き回した数年があったのだろう。
しかし安心して、食べれる物を作る気持ちを当初のスタッフが守ったんだろう。
一口たべて、わかった。
スルスルと体が吸収し、後味の雑味もなく気持ちが整う。
食べるというのはそうゆう事だ。
味の表現を言葉を尽くしても伝わることはない。
真実は自分で取りにいくものだ。
食べる、見る、触れる、匂う、聴く。
すると真実が分かる。
内側から理解するのが人間だと思う。