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【ADHD傾向】同調性はあるが協調性がない私。積極的な同調性と消極的な同調性。

noteを書いていると、芋づる式に過去の話が蘇ってきます。

30年ほど前の話になります。

就職活動を前にした適正検査で、
同調性はあるが協調性はない、と診断されたことをふと思い出しました。

当時は協調性と同調性の違いを深く気にすることもなく、氷河期で何かと大変なところもありながら、就活は無事終了しました。

適正検査の結果が当時の就活には反映されていたのかどうか、よく覚えていません(記憶が遠すぎて)

自分を知る手立てだったのでしょうか。
他の診断結果は、忘れてしまいました。

そしてそこから、特に協調性と同調性の違いについてあえて考える機会はおそらくなかったのですが(なんせ忘れっぽいのです)

ふと思い出したわからないことを、わからないままにしないで、調べてみよう。
調べただけでは忘れてしまうかもしれないから、記録しておこう。

そして考えよう(今までnoteに駄文をかきつらねて一部デトックスしたことで、脳の思考キャパがすこし空いたようです)

そんな気分になりましてね
(noteによる自分の成長記録ですね)

記事を書いています。

さて。
協調性とはいったいなんでしょう(聞くまでもないですかね)

利害や立場が異なる人と互いに協力しあえる性質。

イメージとしては、自分の考えもうまく主張しながら、個々の意見を聞き、集団でおりあいをつけつつ、時には主張を譲りながら、共通の目標や到達点に向かっていける性質、でしょうか。

自分なりに考えてみました(この記事に直接AIは使ってないですよ。文のまとまりなさでわかりますかね)

それでは、同調性とはなんでしょう。

他人に賛同したり、意見をあわせる性質。

イメージとしては、自分の考えはさておき、相手に合わせられる性質。

とはいえ、自分の考えを主張しない理由はさまざまですよね。
(後述します。私にしてはめずらしく、頑張って書いていますので、よければ最後まで読んでやってください)

一旦話をもどします。

私には、同調性はあるが協調性はない、と診断された話。
これもADHD傾向あるあるでしょうか。
一匹狼タイプ。

私の場合。
例えば、友達とのランチの場所選び。

私にとって友達とのランチのメインは、会話です。
長年平日は基本一人ランチ(出先、家庭問わず)なので、友達とのランチはイレギュラーです。

極論、まずくなければ、高すぎなければ、不潔とかうるさすぎるとかタバコの匂い充満とかでなければ、なんでもいいです。

お友達が行きたいお店があるならそこでいいです(胃の具合によっては、あっさり系がいいかな、位の主張をするかもしれませんが)

メニューも価格帯も、デザートをつけるかつけないかも、お友達に基本あわせます。
そしてお友達との会話を優先します。
お友達がうれしければ、私も心からうれしいです(本心ですよ)

自分が食べたいもの、行きたい場所は、後日一人で行けばいい(一人ランチ平気です)って思うタイプです。

なぜって。
一人で行ったら、食べたいものを食べたい時に食べたいように食べられますよね。
のんびり味わうもよし、アツアツを頬張るもよし。

お友達の話に相槌をうつために、冷めゆく料理、伸び行くパスタを悲しい気持ちでチラ見することもありません(ごめんなさい)
アツアツ、アルデンテのまま完食できます。

デザートを食べるか食べないかも、自分の気分次第、お腹の空き具合次第、懐次第。

それが。自分で店を選ぼうものなら。
お友達の口にあうかしら、価格帯はどうかしら。
気に入ってくれるかしら。

ようは勝手にいらん気を使って、勝手に疲れてしまうんですね(たまると爆発してしまう、悲しい性分です)

はたまた、お友達とすり合わせをするなら。
何が食べたい?どのへんの場所がいい?どんな雰囲気?話をしながら良い店をかんがえて、、、
って、
ランチやったら正直面倒です(私の場合です)
話し合って、寄り添う風にしてますが、
なんでもいいから誰か決めてーって思います(本音)


そしてランチ以外でも、基本、概ねどっちでもいいものは譲ります、任せます。
同調性がありますから。


こんな私ですが。
時にはこれは引けないよってこともでてきますよね。
そしたらどうするか。



A.同調しません(しないんかい)

基本引かないです。
賛同してもらえるよう、あの手この手でプレゼンします。
マイルドにでたり、強めに主張してみたり、手を変え品を変え。主張するタイミングを見計らい。
押してだめなら引いてみたり。
日を改めたり。

それでも意見が通らなさそうならいっそ一人でもいいから、したいことをしたい、と考えがちです(自制心はありますのでね、なんでもかんでも思いのまま行動したりしませんが)

もし、議論の場に誰か協調性のある人が加わってくれたら、話がまとまるかもしれないです。
納得して意見をすり合わせられる、つまりは協調できるかもしれない。こんな私でも。

とはいえ、話をすり合わせてゴールに到達するというよりも、最終的に面倒さが勝ってしまい協調性のある人の折衝案に同調してしまうかもしれませんが。

折衝役もできなくはないですがね(報酬があれば仕事と割り切ります)、あえてしたくはない。

私の場合、自分にやりたいことがあっても、行きたい場所があっても。
「このメンバーと、これをやりたい」という強い思いがあまりないのかもしれませんね。

「このメンバーと」にフォーカスするなら、このメンバーに合わせてしまいそうです。
「これをやりたい」にフォーカスするなら、賛同してくれそうな人を探しそうです。そして、いなければ、一人でできるかを考えます。

つまり、私は。
本質的に協調性はない(報酬がある場合を除く)が、
同調性はある(但しいつでもあるわけではない)
ということのようです。

さて。後述しますと書いた件について。
同調性がある人の、自分の意見を主張せず合わせる理由についての分類です。

遅くなりました。
まずはここまで読んでくださり、ありがとうございます。
もうしばらくお付き合いください。

協調性と同調性は、似て否なるものですよね。

協調性は、納得してすり合わせができる性質。
同調性は、自分の考えはさておき、とりあえず合わせる性質。
私はこんなイメージをもっています。

その上で。
同調性には、二通りあると思うんですね。

1.同調することで自分の心を平安に保つ「積極的な同調性」

つまり、
①自分の意見はとくにないからあわせる場合
(協調性ほど寄り添うイメージなし)

②自分の意見はあれどそこまで強く望むわけではないから、交渉する時間や労力を考えたら同調するほうがよい、と、自分の気持ち(意見ではない)に従ってあわせる場合

③自分の意見は別の場で叶えられるから、この集団ではあえて主張しない、と、自分の判断であわせる場合。

2.同調することがストレスになりえる「消極的な同調性」

自分の意見はあるが、主張する勇気がなかったり、どうせ無理だとはじめからあきらめてしまったり、反論や否定が怖かったり、意見を押し通す強さがないなどで、意に沿わないことを受け入れてあわせる場合。

です。


私は、積極的な同調性は、悪いことだとは思いません。流行りのタイパ的にも。

しかし、消極的な同調性についてはどうでしょう。
特に同調がストレスになったり、心や体を病んでしまったりするならば、大きな問題ですよね。


・・・まだまだ思うことはあります。

引き続き考えを吐き出していきたいところですが、今回はこのへんで。

珍しく、乏しい頭を使って記事を書きました。

ありがとうございました。














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