厚生年金基金が誕生した理由
厚生年金基金が衰退していくのはなんとなくイメージしやすいけど、過去に普及していったイメージが全く浮かばなかった。
そのへんを調べてみた。
公的制度と私的制度の
調整が目的だった
昭和40年頃。この頃は経済が高度成長する中で、所得水準は順調に伸びてたけど、厚生年金の給付水準は低いままだった。
なので昭和40年に、厚生年金保険の大幅給付改善が行われた。
(いわゆる1万円年金の実現)
→これは「公的制度」・・①
時を同じくして、企業の退職金制度が充実。
企業年金も充実してきた。
→これは「私的制度」・・②
なので「①公的制度と②私的制度の間に、機能あるいは費用負担の調整が必要だ」って声が多くあがったんだって。
「調整をする」っていう
解釈が難しい成り立ち
それで、ここの解釈がすごい難しくて分かんなかった。
恐らく、退職金制度とかの「②私的制度」が厚生年金の「①公的制度」より充実しちゃったから、これをもっと公平にする為に厚生年金基金っていう制度を作った。こういう解釈で合ってるのかな?
(ネットの情報だけだと、ここが限界だった)
まあ、そんなこんなで調整を備えた制度として、昭和41年に厚生年金基金が誕生したっていうお話。