お金のコンプレックス、の巻
私の実家は、商売をしていて、経済的に良い時悪い時を経験してる。良い時は、大入りの封筒でお金をバラまいてた。私は幼かったし、良かった時を感じた記憶はないが、悪かった時の記憶はしっかり覚えている。
中学生の頃は、親が服を買ってくれたりするので、ここで服の数が少なかったし、明らかに外食もなかった。多感な時期を他の子と比べないということはできなかった。そうすると、自分の容姿にもコンプレックスだらけで、ほんとに自分を鏡でみるのが辛かった。親戚の子までも、羨ましかった。血のつながった従姉妹たちも可愛いくて賢い、やはりお金があるからだなーと。もう恥ずかしくてたまらなかった。わかりやすくいうと笑顔が下手で、かっこつけ、こう見られたいというコンセプトだけが、うなぎ登り。こうなると、口ばっかりで現実は違った。もっとしんどくなった。
でも、働いて自分でひとりで住んで貯金もできてきても、私のコンプレックスは消えなかった。大人になってかなり、働いてから親の借金を払った。いろんな理由があって、そうするのがベストと答えが私にでたから、そうしたのだが、払っても数ヶ月は、ぼーっとしてしまった。今もしてるかな。私は専門職でもないし、コツコツ貯めたお金が消えるとがっくりきた。これは、もしかしたら、バチが当たったのかもしれない。いや、間違いなくバチだ。払ってもらって大いに得した男がいるが、その男の逆ギレぶりにも、悲しくなった。もう、いいや、ほんと。
シングルマザーで育ったお友達も貧乏話しをよくするが、お金がなかったなかでの生活と、さらにマイナスを子供が補填する話はまったくちがうのだ。私のような女は、あまりいないと思うし、もし、いたら、お互い褒め合いたい。これは、私の中では、誰にも話すつもりのない話だ。
そんな貧乏な家庭で育ったおかげ、そのせいかわからないが、私は、正義感のかたまりのオババになってしまった。親にお金を使わせないように気を使いまくる娘だ。それも、仕方ない。
私は、お金が無いことは、それなりの生活、なかったら、無いなりの生活を希望する。お金がないのに、見栄で旅行にでかけたりしないで欲しかった。ほんとに、思う。あまり、楽しくなかったんだ。私は、兄妹は複数いるが、娘はわたしだけ。なんか、ひとりになることが多い。
あるとき、母親が楽しんでると気づいた。にも関わらず、あんたらのために、旅行に連れて行ってやってるプレッシャーはひどかった。人のせいにして、また褒められたいパターンか。
それでも、わたしは、親には感謝するようにしている。世の中、耳を覆いたい事件を耳にするたびに助けなきゃと思うし、それにむけて勉強中だ。
これも、私のルーツ→貧乏な子供時代のおかげ。
それなりに、育ったから感謝してる。