LGBTQのQが父親になってみて

私は、LGBTQのQ、クィアと言われるセクシャリティを持っています。
ざっくりいうと「自分のことを男だとか女だとかカテゴライズしたくない」
というセクシャリティです。恋愛は男女ともにOKです。

去年、娘が産まれました。それはとっても喜ばしいことでした。
生活は一変し、周りからは「パパ」「お父さん」と言われるようになりました。娘はとてもかわいくて、生活は充実して、これまでにない生きがいを感じています。

でも、ひとつ、忘れていたことがありました。それは、自分がクィアだということ。自分は男性でも女性でもない、と思ってきたこと。父親になったことでその感覚が許されなくなり、男親としての役割を、家庭や社会のいろいろなところで、課されるようになりました。

娘はかわいい。育児も楽しい。妻とも仲がいい。こんな状況で「自分が男でも女でもない」だなんて、何を贅沢なことを言ってるんだ。そう思う方もいらっしゃるかもしれませんし、自分でもちょっとそう思います。ですが、自分に少しずつ溜まっていくよくわからない違和感を、自分なりに見つめてみたら「セクシャリティ」という言葉に、たどり着きました。

このnoteは、そんな自分がこれからも感じ続けるであろう違和感や、もしかしたら味わうかもしれない苦しみを、文字にすることで整理しようとするものです。少しずつ、時々書いていくと思うので、「そんな奴もいるんだなぁ」くらいの軽い感じで、読んでいただけたら幸いです。

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