見出し画像

原初の火を焚く

焚き火が好きになったのはいつからだろうか。
こどもの頃から好きだったような気はするが覚えてはいない。

20歳くらいの頃、友人と共に初詣に訪れた神社でお焚き上げをしているのを見て、火っていいなと思ったのが最初の記憶かもしれない。

その後、無性に焚き火がしたくなり、その友人に声をかけると「やろう!」と盛り上がり、バリバリの文系で本オタクだった友人は「焚き火大全」という辞書みたいに分厚い本をすぐに買って自慢げに私に見せてきた。

その前後、時系列は覚えていないけれど、村上春樹の短編小説「アイロンのある風景」を読んで、浜辺で焚き火をする三宅さんというおじさんの話に心を打たれたりした。

その作品中にも出てくるジャック・ロンドンの「焚き火(原題:To Build a Fire)」という短編小説は、柴田元幸翻訳の「火を熾す」で読んで、こちらもいたく感動した記憶がある。

ジャック・ロンドンといえば、小学校の読書感想文で、課題図書を自分で好きに決めることができたので、私は「白い牙」を選んだのだった。
本を読むのが好きなこどもだったけれど、初めて自分で選んで買って読んで感想文を書いた本なので、とても印象に残っている。

話が脱線したので戻そう。
「焚き火大全」を買った友人と、焚き火についての知識は得たものの、いかんせん野外活動に馴染みのない我々は現実の焚き火には辿り着けず、計画は有耶無耶になってしまった。
悲しきインドア派の私たち…

焚き火に対する憧れを胸の内に燻らせながら、とある旅先の浜辺で、または神社やお寺で、またはフェスの会場など、様々な場所で焚き火と遭遇し、その度に「焚き火っていいなぁ」と思い続けてきた。
「いつか自分で焚き火をやりたいなぁ」と。

ここ数年は、焚き火を囲んで輪踊りをやりたいという新たな願望もでてきて、かれこれ20年近くぼんやりと「焚き火をやりたいなぁ」と思い続けている。

本気でやろうと思えばいつでも出来るだろ!という突っ込みはご尤もです…

焚き火のどんなところが好きなのか。
単に火が好きでテンションがあがる、揺らめく炎を眺めながらぼんやりするのが好きというのもあるのだけれど、「無条件にそこにいて良い感じ」が好きなのだと思う。

知らない人同士で焚き火を囲んでいる時、特に言葉を交わすことがなくても、なんとなく同じ場を共有しているという一体感がある。
私はそういった場が好きで、盆踊りも元々は私にとってそういうものだったのだ。

踊りの輪に入っている間は、話をしたりする必要もなくて、その場を共有しているという一体感だけがある。
それぞれがそれぞれの方法で楽しみ、飽きたり疲れたら輪を抜ければいいし、どこの誰なのか名前も肩書も何も知らないもの同士でその時を共に過ごす。

言語を介したコミニュケーションは、私には複雑すぎて難しい。
自分の考えや思いを言語化しようとすると齟齬が出てしまう。完璧に伝えようとするとものすごく話が長くなってしまう。
そもそも完璧に伝える必要などあるのかもわからない。
愛想よく挨拶するのは得意な方だと思う。
挨拶以上の世間話というものが苦手で、軽い話題の会話を続けるということがこの世でいちばん苦手なのだ。
(少人数で込み入った話をするのはとても好き)

そんな自分にとって、ただ無言で火に当たっているだけで、他人となんとなくコミニュケーションが成立する焚き火というものは、とても居心地がよく、ストレスもなく、ただただ楽しい時間なのである。(気が向けば一言二言、言葉を交わすのもまた良き)

コミュ力のある人が生きやすい世の中ではあるが、私のような雑談力ゼロな人も楽しく暮らせるように、身近にいつも焚き火があればいいなぁと思う。
ちょっと疲れた時、もの思いに耽りたい時、人に相談するほどではないけど人生に悩んだ時など、焚き火を眺めていると楽になれるような気がする。

タイトル「原初の火を焚く」は、山尾三省の詩「火を焚きなさい」に出てくる言葉から。

春くらいに、ソロ焚き火をやってみようと思っていて、それが上手くいけば、誰でも参加できるように告知してイベントっぽくしたいなぁと妄想している。
その時のタイトルは「原初の火を焚く」にしようと思っている。
素敵な言葉だ。
すべての始まり。

その前に、今週末は隅田公園で「焚き火アンビエンス」というイベントがあり、そこで焚き火+輪踊りが実現しそうな雰囲気。
本当に焚き火を囲んで踊れるのか?それは当日までわからないのだけれど、少なくとも同じイベント内で、火を焚きながら踊ることは出来る。とても楽しみ!

イベント自体は10時〜20時半
のらぼん(盆踊り)は17時半〜
ライブやDJなどもあり、朝10時から凧あげ大会もあります!

良かったら遊びに来てくださいね💞

おわり

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?