文章と人柄は比例する?

文章が素敵だなぁと、感じる人が好きだ。
しかし、本当に文章から、その人の人柄は伝わるのだろうか。

かつて、マッチングアプリでやりとりをしていた40歳の男の人がいた。

その人の文章はなんというか、とても落ち着いていた。40歳という、当時の自分よりも13歳上だったのも相まって余計に大人に感じたのかもしれない。

少し長めのメール、丁寧な言葉遣い、きっと上品で知的で物静かな人なんだろうなぁと思った。

仕事上、写真を撮ることもあるのだと、プロフィールに載せていた風景の写真もすべて明らかに一眼レフで撮られた美しいものばかり。

私の期待は日に日に高まった。

いろいろ恋愛ですっ転んだ結果、結婚相手には
ケチではない
無知ではない
下品ではない
という三点セットが重要だと思う。

だが、当時はかなり夢をみていたので、インテリで教養があり、文章力のある人が好きだった。ちなみにその人は一般的な人よりも稼ぐ能力もあるようだった。

年上のインテリ経営者、おまけに見た目も好みだった。

そしてついに、カフェでお茶をすることになったのだ。

先に着いて座っていた彼は、ああ、40歳だなぁという良い意味で写真通りの見た目だった。
身長もおよそ自己紹介どおり。
個人で会社をやっているというのも、本当だった。

ところが、である。

喋り出したら、まるで話し方が明石家さんまのようだったのだ。決してトークの面白さではなく、しゃべり方そのものが、である。

私は「ヒャーっ」と笑うその人を前に、動揺を隠すことができず、文字通り目が点になった。

明石家さんまは面白い。

恋のからさわぎを見て、子供ながらにさんまさんはこれだけたくさんの女の子とうまく話せて本当にすごいなぁと思っていた。
それから20年経っても変わらずに踊る!さんま御殿!!のゲストとのトークは面白い。

そう、別に40代の男性の喋りがさんまさんでおかしいことはなにもない。

いや、しかし、それにしても文章とのギャップがこんなにあるのだろうか。

文面から想像された、物静かな彼はどこにいってしまったんだ。明石家さんまなら、なんとなくLINEでもにぎやかそうである。

そもそも、文章では饒舌で、いざあってみるとコミュ障というパターンは想像しやすい。
対面だとうまく話せないけれど、メールならできる、というタイプの人なら何度か出会ったことがある。

逆なんてありえるのだろうか。

いろいろなことが頭のなかをかけめぐっていると、「俺の顔になんかついてる!?」と聞かれた。

まさか、文章とあまりにも違うのショックでしたとも言えなかった。

焼肉行こうや!と誘われて、美味しいお肉を食べたけれど、衝撃が大きすぎてあまり味わえなかった。

帰り際、これはものすごく印象に残っているのだが
「◯◯(女優さんの名前)に会ったことあるんやけど、普通に見ても誰かわからなかった!CMにするには相当加工しないと見られないんやなー!じゃ!」
みたいなことを言って去っていった。

そのあと数ヵ月して、たまたま彼のFacebookを見たら結婚していた。

これは一体なんだったのだろう。
遊び相手がほしかったのか、その数ヵ月で出会って結婚したのか。

真相はわからないが、今思い返してもなかなかの珍しい体験をしたなぁ、と思う。




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