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魔法のペン?

pixivのブックサンタ2023企画の参加作品です。さりげない子どもの言葉に感化され、ちょっとだけ日常が彩った女性のお話。

魔法のペン?


 それはいつものファストフード店で、手帳に書き込みをしていた時だった。
「それって魔法のペン?」
 最初は自分に問われているのだとわからなかった。視線を感じてそちらを見た時に、子供と目があったことで気が付いた。
「なに?」
「それ。きらきらしてるわ」
 波打つ長い黒髪の女の子だった。紺のコートに包まれて、にこにこと朗らかな笑顔をこちらに向けている。
 指をさされた方を見ると、ペンケースの中からピンクのラメ入りのペンが覗いていた。普段は黒か青のペン、ときどき赤のペンを使う程度なので、このラメ入りのペンが入っていたことを忘れていた。
「このペンのこと?」
 女の子はこくりと頷いた。
「絵本にあったの。きらきらした魔法のペンが出てくるのよ。それで願いを書くと何でも叶っちゃうの。その子はね、ママと会えない可哀想な子だったんだけど、そのペンで会いたいって書いたら会えたのよ」
 可愛らしい、いかにも子供向けのお話に口角が上がった。自分もそんな話を信じて夢見ていた頃があったかもしれない。
 ペンを取り出して手帳に滑らせてみる。インクはまだ出るようだ。それを子供の方に差し出した。
「あげるわ」
「ホント? いいの?」
「ええ。魔法のペンかどうかはわからないけど」
「ありがとう」
 女の子の隣に、白いマフラーを巻いて、黒髪を後ろでひとまとめにした女性が腰を下ろした。料理を注文していた子供の保護者が、戻ってきたのだろう。
「見て見て、このペン、このお姉さんにもらったのよ。きらきらよ」
 母親らしき女性は驚いた顔をしていたが、こちらが笑顔を向けると同じように返してくれた。
「すみません。どうもありがとう」
「いえ、どういたしまして」
 席を立とうとした時、女の子が言った。
「メリークリスマス」
 そうだ。もうすぐクリスマス。仕事に追われてばかりで忘れていた。
「メリークリスマス」
「メリークリスマス」
 同じ言葉を贈ると、女の子の母親も祝福を返してくれた。

 家でのデスクワークが一息ついた時、ふとペン立てに視線が向いた。昼間の女の子との出来事を思い出したせいかもしれない。
 ペン立ての中を覗いてみる。きらきらしたようなペンは入っていない。あるのはどれも実用的で、日常的に使っているものばかり。かろうじて何本かカラーペンはあるものの、使う頻度はそう多くない。本当に一体いつのペンだったのだろう、あのきらきらしたペンは。
 少し過去を振り返ってみる。いつの日か、今よりも若い頃、ああいうきらびやかなカラーペンが好きだった時代があった。今ではそう使うこともなく、買わなくなっていったけれど。その時の名残だろうとは思うのだけれど、やはりはっきりとは思い出せない。
 意味もなくペンをつついて弄ぶ。今では一本も可愛らしいものがないなんて。なんだか遊び心を忘れてしまったようで、寂しさが胸の中を通り抜けていく。
 少し考えて、思い至って腰を上げた。そうしてめったに開けない引き出しの中を探ってみる。あった。それは子供の頃はよく使っていた色鉛筆。中は使いかけで、長さはそろっていなかったけれど、数は全部そろっていた。24色。
 幼い頃の、12色のものに飽きてもっと他の色も欲しいと親にねだった記憶がよみがえる。そのあとは36色が欲しいとか思っていたっけ。結局そのあとはカラーペンに移行して、この色鉛筆はあまり使わなかった。それでももったいなからと取っておき、一人暮らしをするときに持ってきたのだ。この中で一番好きな色はピンクだった。昼間に見つけたペンケースにあったラメ色のペンもピンク色。きっとまだ遊び心のある時に買ったものだろう。
 さあ、そろそろ続きに戻るか。色鉛筆を引き出しに戻した後、彼女は再びデスクワークに戻った。

 仕事帰り、賑やかで華やかなショッピングモールを訪れた。中ではクリスマスソングが流れ、外でも沢山あったイルミネーションが目に眩しい。踊るサンタ人形に、ぬいぐるみ。歌うツリーに、笑うサンタ。どんなに落ち込んでいても、これだけの刺激があれば気持ちが浮上しそうな勢いだ。
 おもちゃ売り場では子供達が多くいた。今度姪っ子に会いに行くときのプレゼントは何にしよう。ぶらぶらと眺めて回り、ふと文房具売り場に目が留まる。足を向けると、ペンのコーナーの周りにはクリスマスの装飾はあるものの、ペン自体はいたって普通のものだった。そりゃそうよね、と思いながらも好みのペンを選んでみる。手に取るのはやはり実用的な、書きやすそうなもの。インクの滑りはどうか、手に馴染むか、滲みにくいか。そういった部分に重きをおいて判断してしまうのは、思考回路がすでにそうなっているからだろう。
 自嘲気味な笑みを浮かべ、ラメ入りのペンのコーナーに目を向ける。適当に手に取って試し書きをしてみると、なめらかで、滲まず、軽くて書きやすいものがあった。手にしたのは赤色だった。同じシリーズの緑色を書いてみる。良い色じゃないか。
 今の自分は緑に惹かれているらしい。昔はピンク、いつかは黄色、いつかはやたらグレーにハマったこともある。その時々で気分が変わることは、しっかりと経験済みだ。
 一本ぐらい買ってみようか。そうして頭で考えてしまうと、やはり赤の方がいいのでは。最近使っているのは赤ばかりで、それは基本使う色が黒や青だから。実用性を考えるとやはり赤が良いのだが、今欲しいのは緑色。だけど緑のペンなんて、今の自分は何に使うのか。しばらく考えてから、考えるのをやめにした。別に使わなくてもいいではないか。今の気持ちを尊重しよう。
 そうして彼女は、緑色のペンを、レジに持って行った。

 いつものようにデスクワークが一段落した休憩中、ふと見たペン立てには、この前買った緑色のペンがあった。何の気なしにそれを持ち上げて、ふたを開けてみる。何か書こうとしたけれど、何も思いつかない。一旦ふたを閉め、思考にふける。私は何がしたかったんだろう。ふたを開け、また閉じる。何度かそれを繰り返した後、とりあえずメモの一部にそのペンで波を書いてみた。白いメモ用紙に、きらきらとしたラメ入りの緑色が波打っている。光の当たる角度で、多少色が違って見える。
 きらきらした魔法のペン。またあの女の子の言葉を思い出す。それで書くと願いが何でも叶うらしい。
 少し考えて、白いメモに書いてみた。今の私はとってもステキ、と。
 ふっと笑い声が漏れた。一人で何をやっているんだか。どうしようもない一人遊び。それでも楽しくなってしまったのは否めない。どうせ誰も見ていない。ならば気にすることもない。
 何かが吹っ切れた彼女は、メモ帳にどんどん願いを書いていった。

「メリークリスマス」
 妹家族のパーティに呼ばれ、彼女は姪っ子にプレゼントを渡した。何にすればいいのかわからなくて、結局妹に聞いたのだ。返ってきたのは「私があの子の欲しがっている人形をプレゼントするから、姉さんはその人形の着せ替えを買ってきて」。わかりやすい要望を有難く受け取って、彼女はさっそくおもちゃ屋さんに買いに行った。
 パーティの後のプレゼントを開く時間。開ける順番に注意してあけてもらうと、それは大成功だった。お人形で喜ばれ、加えて着せ替えまでももらえると思っていなかった姪っ子は、大いに喜んだ。カーペットの上でもソファの上でも飛び跳ねて、母親に注意されるまでやめなかった。
「そういえば、魔法のペンが出てくる絵本って知ってる?」
「ああ、あるわよ、うちにも。見る?」
「え、あるの?」
 何の気なしの話題がすんなりと進行し、彼女は席を立って本棚へと向かう妹の背中を呆然と見送った。戻ってきた妹の手には五冊の絵本。瞬く姉の表情に疑問を悟ったようで、五冊を手渡しながら説明してくれる。
「それシリーズものだから」
「そうなの?」
 そのシリーズは女の子が主人公のもの、男の子が主人公のもの、動物が主人公のものなどがあった。とりあえず、その中からママに会えない可哀想な女の子が出てくるのがどれなのか教えてもらい、読んでみた。
 ずっと仕事で遠くへ行っているママとなかなか会えない女の子は、クリスマスの日くらいは家族みんなで過ごしたいと願い、一ヵ月も前から毎日寝る前にお祈りをしていた。
 パパのお仕事は一段落ついたのだけれど、ママだけが仕事を抜けられない。もうクリスマスなんだからお願いを聞いて、という女の子の願いに応えたのはサンタさんだった。クリスマスの朝、枕元にあった魔法のペンで「家族みんなで過ごしたい」と書くと、ママが帰ってきたのだ。
 それからママとずっと一緒にいたいと書き、家族みんなが幸せを感じていると、他にも家族に会えない子供がいることを知り、女の子はその魔法のペンを他の子に譲るのだ。
 読み終わった彼女は、ぽつりと言葉をもらした。
「あの女の子もママに会えなくて寂しかったのかしら」
 彼女は絵本を知った経緯を妹に話した。
「あの子が家族で過ごせてるといいんだけど」
「そうね。でも魔法のペンをあげられて良かったじゃない」
「魔法のペンかどうかは知らないけどね」
「でも私も昔、そういう魔法のグッズに憧れたことがあったわ。姉さんもなんか欲しがってたのあったわよね。ネックレスだったかしら?」
「そうね。変身グッズだったと思うわ。アニメの」
「私はステッキだったわ。飾りがごちゃごちゃついてて音が鳴るやつ」
 懐かしい思い出に頬が緩む。今はもうどちらのおもちゃも手元にはない。
「この前ね、ちょっと新しいペンを買ってみたの。実用的じゃないやつ」
「へえ、どんなの?」
「緑色の、ちょっとラメが入ってて、光の当たり具合によっては見えにくくなるやつ」
「あらステキ」
 妹のからかい口調に笑みを返す。
「でも良い色なのよ。書きやすいし。最近はいつも似たようなもの買っちゃうから、ちょっと気分を変えてみようとか思っちゃって。きっとあの女の子のせいよね」
「そのペン今持ってないの?」
「あるけど」
「見せて」
 手渡すと、妹はふたを開ける前に、まずはじっくりと手の中で眺めまわした。
「ステキな色じゃない。落ち着いた深緑」
 メモ用紙を持ってくると、「メリークリスマス」と書き込んだ。
「良い色ね。書きやすいし、きらきらしててキレイ。でも」
 言葉を切って、メモを持ち上げて角度を変える。
「光って見えにくいわ」
「でしょう?」
 二人して笑いあった。

「姉さんどう? 調子は」
「ええ、変わりないわ」
「塗り絵は続いてる?」
「ええ、なんとかね。ちょっとした息抜きには意外といいみたい」
「36色の色鉛筆は全部使った?」
「まだ全部は使ってないわ。買ったばかりだし」
「塗り終わったら見せに来てね。あと飽きたら頂戴。娘が喜ぶかも」
「あの子にあげるなら、ちゃんと新しいものをあげるわよ。長さが揃ってない色鉛筆って子供にはけっこう酷でしょう」
 妹と電話で話しながら、ふふふと笑った。
 あれから彼女は36色の色鉛筆を買い、塗り絵を始めた。気まぐれで始めただけではあるが、意外と楽しいものだった。
 ラメ入りの緑のペン。あの日思いつくままに願いを書いたメモの中に「36色の色鉛筆」というのがあった。それは数日前に色鉛筆を引っ張り出して、過去を思い出したせいではあったが、いまだにその願いは自分の中にあったと気づいた。当時は親にねだるしかなかったが、今となっては自分で買える。自分で過去の望みを叶えてあげることが出来るのだ。
 そうして始めた塗り絵は、いつの日か飽きが来るまで続くだろう。もしかしたら飽きることなく、この先ずっと続くのかもしれない。
 クリスマスは終わったけれど、あの見知らぬ少女との出会いは、彼女の日常に少しだけ色を添えた。その些細な変化が次に何を色づかせるのか、それはまだ誰にもわからない。

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