自己否定からの解放ー自分を知り荒波を乗り越えたワタシの半生記⑩自分が着たい服が着れない
以前、母が弟たちへお下がりにできるよう、ワタシに青い靴や戦隊モノの靴を買うって話をした。母との洋服エピソードは、こんなオバサンになってからでもはっきりと思い出せるほどワタシのなかで非常にストレスフルで、苦痛なものばかりで、おそらくワタシのなかにある(母を悲しませたくない)という感情と、(でも自分の好きなものが着たい)という感情が常にバトルを繰り広げ、疲弊していたのだと思う。
どうやら母は、もともと赤やピンクが好きではなかったらしい。そしてネイビーが好きだったので、娘にもそれを着せようとした。ネイビーの服を上品に着こなす娘にしたかったようだ。そう、のちにワタシの好みがそっちに移ったおかげで母の願いはかなえられるんだけど、その頃(小中学生)のワタシはネイビーは大っ嫌いで、もっと女の子らしい格好がしたかったのだ!!!ピンクのひらひらとか、レースのブラウスとかが着たかったんである!!!
話は変わるが、ワタシの行っていた小学校では、5,6年生になると運動会で鼓笛隊をやる。5年生は全員リコーダーだけど、6年生になるとベルリラとか太鼓類とか指揮者とか、目立てる楽器ができる笑。もちろん6年になっても目立たない”その他大勢”になる可能性も高い。
5年生のとき、衣装についてのプリントが配られた。白いブラウスに紺のスカートという条件だ。これまで見てきたセンパイたちは、真っ白なブラウスに制服みたいなプリーツスカートで、ワタシはそれに憧れていた。
多分だけど「制服」ってものに憧れがあったんだと思う。幼稚園時代にスチュワーデスに憧れてたのもそうだけど、ワタシはキリっと制服を着こなす女性が好きなのだ。
(そして制服ということなら、紺でもオッケーなのだ)
しかし。
一緒に衣装を買いに行ったとき、母が「これでいいんじゃない?」と持ってきたのはワタシが思っていたのと全く違うシロモノだった。
白いブラウスには何やら花柄の刺繍が縫い付けられており
紺のスカートは前に2本ひだが入っているだけの地味なもの
ワタシの理想とは全く違ったものだった。
そう、母はスタンダードな上下は値引きされず高いから、また安いものから似通ったものをセレクトしてきたのである。
(どうして!? お母さんだって運動会でいつも見てるでしょ? ワタシの欲しいのはこれじゃないって!!! 涙)
まじで絶望だった。
みんながお揃いで行進するときに、ワタシだけこれを着ないといけないのか…
「これじゃやだ」
「みんなと同じがいい」
言いたかった。
だけど…言えなかった。
ワガママをいって、困らせたくなかった。いやもしかすると、ワガママを言ったらブツブツ文句を言われるのが嫌だったってのもあるかも。
ワタシは我慢した。我慢してそれを着て当日を迎えたことを覚えている。ほんっとうに嫌だった。
(みんなにどう思われてるだろう…)
(貧乏で買えなかったって思われてるかな)
めちゃくちゃ恥ずかしくて、音楽は好きなハズなのに早く終わってほしいと思った。
母にしてみたら、一回か二回しか着ないものにそんなにカネはかけられないという思いだったのだろう。わかるよ、いまならワタシもそれはわかる。
だけどワタシは、みんなと同じ格好がしたかったよ。せめてそれこそ、お下がりでいいから誰かに借りるとかしてくれたらよかったのに、母はヒトを頼るのがニガテだった。
インターネットなんかない時代。
なにかが必要ならリアルに周囲を頼る以外ない時代。
誰かを頼るとお礼をしなくちゃいけなくて、それを非常に億劫がっていた。
その頃の体験が印象的すぎて、ワタシは娘には、幼いころもなるべく服の趣味を押し付けないようにしていた。ビックリすることに彼女はハッキリと自分の好みを主張してくる。さすがに全身ピンクのコーディネートをしたときは「え? 上か下かどっちか違う色にしたら?」とアドバイスをしたのだが、母のワタシがなんと言おうと彼女はそれを貫き保育園に行った(大きくなってそれを後悔してたけど笑)
「ワタシの言うこときかないんだ…」って思ったけど、それで少しホッとしたのも事実だった。
こんなに始終自分のなかで思いを戦わせる人生、送らせたくない。