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自己否定からの解放ー自分を知り荒波を乗り越えたワタシの半生記⑥
前も書いたけど、ワタシには弟が2人いて、歳の差もほとんどないため、何でも”いっしょくた”だった。まあ、だからこそ靴も弟たちにまわるよう、青の靴やら戦隊モノの靴やらをセレクトされたのだろうし(いやいや、あの母だったら例え10歳差があったとしても、お下がりを想定するかも…)習いごとも、適性とか関係なく一緒に通わされたりと、本当にごちゃーっと一緒にされていた。
そんななかでワタシが今でもキョーレツに記憶に残るのは、ナゾの躾方法のひとつ、
連帯責任
ってやつだった。
これまた少し前までは、日本社会でもフツーに叫ばれていたし、いや、なんなら今でも通常使用の部活とかありそうですけども………
悪いけど、ホントにこれやってる部活の責任者はよぉく周りをみて時代を確かめてね、って言いたい。だって今、令和だよ? 大丈夫?
昭和はね、終わったの。
早く目を覚まして。
で、我が家の連帯責任はどういうものだったのかというと、例えばワタシが覚えているのは、上の弟が習いごとをサボったとき。彼はスイミングが一時期好きじゃなくて泣いて嫌がっていたことがある。その日はどうやってサボったのか忘れてしまったのだが、、、スイミングバス(スクールのお迎えバス)で行ったのは行ったんだけど、どっかに隠れてたんだっけなぁ? とにかく後からサボっていたことがバレてしまった。
それを母から聞いた父は烈火のごとく怒り、そしてその怒りが兄弟に飛び火したのだ。
「お前らもだ、連帯責任だ!! そこに立て!!」
といい、ワタシたち3人はビクビクしながらリビング横の和室に並んで立った。何が起こるかはわかっていた。
布団たたきでお尻をたたかれるのだ。
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うちの父は、瞬間湯沸かし器だ。怒りの沸点も低ければ点火速度もあっという間。その瞬間の緊張感ったらなかった。今でもその場面を思い出すと心臓がキュッとなるほど。
(そして、年とっても瞬間湯沸かし器のままだった笑)
子どもの頃の親って本当に大きな存在で、自分の生活がそのヒトにかかってるってわかってるから、何より親が穏やかで平和でいてほしいんだ。それが子どもにとっての切なる願いなんだ。
その世界が崩される。
和室に3人で並び、お尻を叩かれながら「ごめんなさい」という。だけどワタシはその頃から、ごめんなさいをいう意味がわからなかった。
「本当に反省してるのかぁ!!!」
とか怒鳴られる。もっとわかんない。
なにを反省すればいいの?
いったい、ワタシがなにをしたの!?
弟に対して「ちゃんと行こうよ!」って行くことを促したらよかったのだろうか。たとえワタシがそんなことをいったところで、彼の気が変わるとも思えなかったけど。あるいは、行く振りをして行かなかったことに怒ってるのだろうか。まあ、それは確かにほめられることではない。だけどこんなに怒られることでもない気もする。そもそも隠れちゃってたら我々もわからないままなんだが。
謝罪の理由が納得できれば、いくらでもきちんと謝罪する。だけど理由がないのに気持ちを込めて謝罪するなんて、当時のワタシにはできなくて。それでももう、やめて欲しくて必死に謝ったな……時間はかかったけど。
いまとなっては、ほんっとに意味の分からないやり方だし、あんなやり方通用してたことがもう、昭和の七不思議っていうか、めちゃくちゃでしょって思うし、絶対自分の子にやるつもりないし、いまのワタシだったら絶対納得するまで理由を問い続けるけど……いや、あの頃のオヤジ(オヤジになっちゃったよ)に、そんな理屈は通じなかったな、きっと……
ただ、うちの父の面白いところが、常々「中学生になったら手は上げない」と言っていて、本当に中学生になったらその通り、怒鳴ることはあっても手は一切出さなかったってことだ。
相変わらず怒ると怖かったけど。
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