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自己否定からの解放ー自分を知り荒波を乗り越えたワタシの半生記①

ワタシには小学校に上がる前の記憶がほとんどない。歳だからしょうがないよなーと思っていたけれど、もしかするとそうじゃないのかもしれないなぁと最近思う。
ひょっとすると、あんまり覚えておきたくない記憶だったのかもなぁ…

ワタシは第一子長女。二人の弟がいる。すぐ下の弟は2つ下、その下の末っ子はその1つ下と、間隔が狭くてごちゃっとしている。
いっしょくたに育てられた感じだ。いっしょくたなんて言ってしまうとなんだか自虐的だけど、今の若いヒトはイメージわかないだろうけど、その頃(昭和半ばあたり)って今みたいに子育てって丁寧じゃなくて、”とりあえず食わせて寝かせときゃなんとかなる!”みたいな感じだった。のちに母になったワタシは(よく3人も育てたな…)と初めてそこで両親を尊敬したけど、そういうと母は「あの頃はあんまりお金もかからなかったしねー、なんか何となく育てられたんだよ」と言っていたけど、それは感覚として確かにあると思う。

てか、ワタシはずいぶん大人になるまでウチはビンボーだと思っていた。

というのも、さっき記憶がないと書いたけど、実はいくつかキョーレツに残ってる記憶がある。この写真を見て欲しい。これはワタシが幼稚園の卒園遠足っていうのかな? それで確か羽田空港に行った時の集合写真。


めちゃくちゃ時代を感じるわ…

これ、こうしてしまうとちょっとわかりづらいけど、実はワタシの靴は青い。一方周りの女子たちはリボン柄だったりピンクだったりな靴を履いていて、可愛らしい。

そう、ワタシは、第一子であるにもかかわらず、弟たちに合わせて弟たちへのお下がりを前提に靴を履かされていたのだ。(思わず太字)

またまた昭和の考察みたいになっちゃうけど、この頃って今以上に男子と女子が差別化されてて、”男=黒とか青、女=赤とかピンク”っていうのがはっきり明確だった。ちなみにランドセルも黒と赤しかなかった時代。そんな時代に青い靴を履かされたワタシの思いはヒジョーに重くて、ことあるごとに悔しさを吞み込んできたし、今でもその頃の感情がよみがえってきてこみ上げるものがあるのだけど(このトシで!!)この靴はどうやらそれとは違うようだがなんと、レンジャーもののズック靴まで履かされていたのだ!!

こういうのだよ、こういうの!!!(画像お借りしました)

周りの女子たちが可愛らしい、いかにも女子♡っていうデザインの靴を履いているのに、ワタシはこんな靴を履かされていたのである!!!
そして、ワタシはそんな靴でへっちゃらでいられるタイプじゃなかった。自分が辱められた気がして、ホントにホントに自分の足を隠したくて仕方なかったことを、今でも鮮明に覚えているのだ。記憶が無いクセにそんなとこだけ今でも鮮やかに蘇るのが自分でも怖いけど、
「あぁ!これ安いじゃない、これだったら〇〇たちも履けるしさ」
と、母がおそらくシーズン落ちで安くなってたそれを買ったシーンさえ今でも覚えてて、その時の絶望感がその後のワタシを形成していた気がする。

お母さんはわかってくれない。


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