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[文]詩を書くぼくが読む本ー「いい子のあくび」高瀬隼子

 ここ2、3年、ほとんど詩しか読まなくなったぼくが、久しぶりに読みたくなったのがこの本。高瀬隼子さんの「いい子のあくび」でした。  詩の魅力は、純度の高い言葉の切れ味。長くても数十行で、描ききってしまう鋭さにあるわけだけれど、高瀬さんのこの小説には、短ければ一行、長くても数行で、尊い詩に匹敵し、小説一作品分の値打ちを感じるような純度の高い言葉の結晶がありました。  この本だったから、小説に戻れた。戻ってしまった。そんな本でした。偶然に見える邂逅に理由はあるんだな。 「それで

    • [詩]詩を書きたくない詩 鈴木日出家

      今日もぼくらは詩を書かない理由を探す。 月曜日は余裕で構えてしまうし、火曜日は遅くまで働いてしまうし、水曜は早く帰った分早く寝てしまうし、今日は木曜だけど、いい加減疲れもたまってきていて、明日は金曜だほら、ビールがぼくらを待っているから、という具合で詩の相手はしていられない。 こうなって来るともはや、「酒がのめるのめるぞ」の日本全国酒飲み音頭さながらではないか。しかし、強い執着を謳うあちらと違ってこちらはただの逃避だから、明るい肯定感はない。いかに酒飲みであろうと肯定感の方が

      • うちの地元にうまい拉麺屋も不味い拉麺屋もない

        あるのは今日ただ今この瞬間に一番好きな拉麺屋だけがあるのだ。今日数ヶ月ぶりに向かったのはホスピタリティの拉麺屋である。入った瞬間に客を不安に陥れることのない店。それがいかに稀有であるか。胸に手を当てて膝を地面につけて足裏を背中まで曲げてヨガポーズを取ったあとで考えてみるがいい。席を案内するホスピタリティ。それは気の利いたおろしニンニクのやわらかみ。あまり流行っていなくともセンスのよさだけは感じられる音楽を流すホスピタリティ。それは気の利いたシナチクのデザイン性。肩掛け鞄を。ま

        • 木曜日の詩(おいしい食べ物とわたしの中のなだらかな雪崩れ)

          生まれたときからねこじゃらしがすきです げたをはんたいからはいています 歌い出しを忘れてすべていやになります 気象予報士のあとをつけていきます 自動販売機には年中裏切られっ放しです あなたの背広姿にシンプルにヘドがでます トートバッグにいれられたリュックのきもちが分かります どうしようもないわたしにクリストファー・ノーランはやさしくありません ハローワークで廃人になれませんかと訊いて叱られました俳人と訊いても同じだったでしょう 自動食洗機つきキッチン、大型ショッピングモールの

          口をぱっくり開けて待つ拉麺屋

           喰っているのは客のようでいて喰うのは拉麺屋である。たいてい閉じている門扉を遠慮がちに開けば、待ち受けるのは忙しさを充塡させた店員である。相変わらずの視野狭窄で入ってすぐ右の食券販売機が目に入らない。調理中の店主が重く口を開けば逃げ場は便所ぐらいしかない。混乱のまま逃げ帰ってもよいのだが居並ぶメニューが阻止する。ノーコートンコツショウユ、ノーコーギョカイトンコツ、シオトンコツ…混乱の中で早くも薄れゆく意識を繋ぎ止めるメニュー。額から滴る汗が頬を伝い、唇にかかる瞬間、わたしは電

          口をぱっくり開けて待つ拉麺屋

          うちの地元の拉麺屋はどこでもだいたいうまい 鈴木日出家

          から月に一度新店開拓するときのわくわくはおいしいかどうかではなく、もう一度来たいか、で食す前から、もう一度来たいか、と思いながら入店する、とは言いながらそもそもが内向的、新しい場所や人への根源的な抵抗感、は拭えずに内在し、であって入店のときにはおずおずして各店ごとのルールや倫理や定型の行動原理に従わねばとビクついていて、四角い店内に迷い込んだ濡れ犬、のように目玉がキョロついて、極端な視野狭窄に陥って、座席は案内されないならば一番最初に目に付いた席を、入店後食券を買わなければい

          うちの地元の拉麺屋はどこでもだいたいうまい 鈴木日出家