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第一志望の大学を受験しなかった

高3の秋。
第一志望の大学の推薦試験に落ちた。
当時でいうセンター試験を受けてから、一般の試験を受け直すこともできた。
しかし、私はそれをしなかった。

逃げ、だと思う。

でも、面接練習をみてくれていた先生に「もうこの大学は受けない。」と伝えると、
先生は「そうか、そうか。でもね、実を言うと心配していたの。あんなに面接練習の頃から大泣きして取り乱していたのに、あの大学でやっていけるのかしらって。大学に入ったら毎日嫌でも勉強して自分に向き合わなくてはいけないでしょう。」と言った。

私が志望していたのは福祉系の特殊な学部のある大学だった。
理由は、両親が障害者だったから。
大学に行って勉強したら、両親のことも、両親に育てられた自分のことも、もっとよくわかるかもしれないし、似たような境遇の友達もできるかもしれないと思った。

面接では、絶対に志望理由を聞かれる。
私はそれがどうしてもうまく話せなかった。
福祉に興味をもったのは確実に両親の影響だけれど、そのことを話そうとすると、言葉に詰まって、涙が出てきて、呼吸が浅く、早くなる。

練習に付き合ってくれた先生は「練習でさえこんな調子なのに、本番はどうなるのかしら」と大変心配したそうだ。
昼休みに面接練習をすると、泣きながら教室に戻って午後の授業を受けた。先生はそんな私を見かねて、面接練習の時間を放課後に変えてくれた。

試験本番では、泣かなかった。
でも結局、不合格だった。

私は、両親や私自身に向き合うには時期尚早だったのだ、と解釈することにして、一般試験の受験をやめた。

『どこで学ぶかじゃなく、なにを学ぶのか』って誰かも言ってたし、と諦めを正当化して自宅近くの大学に進学した。

この時、逃げても逃げていなくても、結果は変わらなかったんじゃないかと思う。

私は大学在学中、少しずつ両親や自分のことを考えた。似たような経験をした人たちにも会いに行った。時には大学の課題に追われながら、自分のペースで自分と向き合った。そうして大学3年生の頃には、だんだんと人前でも泣かずに話せるようになった。

第一志望の大学へ行っても、両親や自分のことを考えて過ごして、泣かずに話せるようになっていたのかもしれない。でも、高校の先生の言うとおり、これが毎日嫌でも自分のことを考えなくてはならないとしたら、同じ結果に至るまでにとてもつらい思いをしたかもしれない。

その後も私は、現在まで逃げる選択を繰り返している。

大学卒業後、専攻していたこととは違う分野に就職した。
仕事にするなら大学での勉強だけではとうてい足りないということがわかっていたので、とりあえず勉強から逃げたかった。

そして今年、新卒から3年間働いた会社を辞めてしまった。
正直、いつまでも自分のことばかり考えていたくはない。もっと周りの人のこととか、社会のこととか、考えなきゃいけないんじゃないか。そう思いながら働いていたけれど、結局自分から逃げているだけのような気がした。

なにかから逃げても、逃げた先にあるものから逃げることはできない。

逃げても、逃げても、逃げた先に自分がいる。
第一志望の高校を受けずに逃げることを選んでも、自分が自分であることや、両親に障害があるという事実からは逃げられなかった。

これからもきっと、どこまで逃げても、絶対に逃げた先の私が待っている。

だから、これからは、逃げた先で出会った私からは逃げない。
向き合って、話をしよう。
一緒にこれからの選択を決めていこう。

#あの選択をしたから


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