ペーパードライバーがドライバーになるまで日記
私は、運転がものすごく苦手だ。
移住の決断を周囲に話した時、「他のことはあまり心配しないけど、運転だけは心配」と言われ続け、自分自身の苦手意識はもう、東根山より岩手山より高く、富士山よりヒマラヤより高く目の前に聳え立っていた。
しかしどうにも、岩手に移住して、車を使わないことには、なかなかどうして不便なのである。
できないことをさらけ出すって、どうにも恥ずかしい。30も後半に差し掛かるアラフォーなのにという自虐も乗っかり、情けなさと直面する。なかなかにシンドイことなのだけれど、いまは「できなくてよかったかも」と思えてきている。
どうしてそう思うに至ったか。その変遷を、車と私の、ここ数ヶ月の歴史とともに振り返ってみよう。
4月 新しい仕事開始・車を入手
私が今住んでいる環境は利便性が高く、徒歩や自転車圏内でも(冬以外は)生きていける。4月から仕事が始まり、職場から車を貸与いただいてからもすぐに運転する気になれず、3月に移住して以来、遠出するときや大きな買い物をするときは友人に頼りっぱなしだった。これは感謝してもしきれない。
だけどさすがに、ずっと運転しないわけにもいかない。そろそろ自分ひとりで行動できるようになりたいし、ならなければいけない。
5月半ば 友人に助手席に乗ってもらう
ぼちぼち運転練習をせねばと思っていた頃、「運転してみます?」と年下の女子がつついてくれ、助手席に座ってもらった。だがしかし……。
いつも明るい彼女が、帰り道には青ざめて無言になっていた。その後も彼女はしばらく口数が少なく、申し訳なさから私はとにかくクッキーやらを彼女に差し出すしかなかった。
想像以上の恐怖に陥れてしまったことを強く反省し、さすがにこれはプロの力を借りないとだめだ……と思った。
5月末 ペーパードライバー講習を受講
最寄りの自動車教習所へ、ペーパードライバー講習へ。
教習料金1時間5000円は、都内よりは割安だと思うけれど、引っ越したての私にはまあまあな出費だ。
最初の1時間は教習所から出ずにひたすらぐるぐる回る練習。私は全身ガッチガチで運転にのぞみ、教官は怖くはなかったがわりと歯に衣着せぬ人だった。直進もできず蛇行運転をする私をみて、「助手席のお友達はさぞかしこわかっただろうねぇ」と教官。
次の1時間は別の日に、別の教官とともに路上に出た。多くを語らず黙々と要点を教えてくれる教官のおかげで、だいぶ遠くまで走れた。累計2時間の受講ながら、1時間目の10分間と比べたら、数ミリは進歩しているなと感じられた。
6月5日 ひとりでスーパーに行くという挑戦
有料課金をしたのだから、間をあけずに練習しなくてはと、ひとりで少しずつ運転するようにした。走るのは週末の、時間と心に余裕があるとき、しかも夜、路上にほとんど車が走っていない時間帯。
目と鼻の先にあるスーパーを目指して、ドキドキしながら発進。交差点を右折する気持ちが先んじて早めにウィンカーを出してしまったらいつの間にか消えていて、対向車を戸惑わせてしまうきわどいミスがありつつ、とにかくたどり着けた時の感動ったらなかった。思わずビールをたくさん買って、重い荷物だって持てるんやでと、誇らしげに帰宅した。
6月13日 目的地AからBへ
その翌週末もまた買い物にでかけ、先週行ったスーパーAへのミッションを達成したので、その足でスーパーBにも行ってみることにした。目的を2つも果たすなんて……思わずよくわからないけどいつもより高いフェイスパックを買って帰った。なんか今月出費が多い気がするんだけど、気のせいか。
亀の歩みすぎる私の進歩を周囲の友人たちに報告しては、笑われながらも「すごいじゃん」と褒めてもらう。優しすぎか、みなさん。
ぬるすぎるガソリンを注入されながら、走れている距離はまだ5km。
5km.....されど5km。
6月16日 東京からの友人に運転してもらう
東京から友人がきた。町内を案内するにはまだまだ技術が追いつかない私の代わりに、友人に運転してもらうことに。いったい、どっちがホームの人なんだかわからない。
まだなかなか一歩が踏み出せずモタモタしている私に、友人をはじめ周囲の人からアドバイスをいただく。そのアドバイスをざっくりと要約するならば、「勇気」。
お、おぅ。
6月21日 車通勤開始
私の家から職場までは、車で3分。車通勤するほどの距離でもないのだけれど、とにかく車と仲良くなろうと思った。朝という、お尻の決められた時間帯に運転することはドキドキしたが、合言葉は「勇気」。駐車場が空いているうちに停められるように、いつもより早く家を出た。
駐車場は狙い通り空いていたので、頭からつっこんで駐車した。つもりが…狙いを少し外れたせいか、めちゃくちゃ曲がってしまった。
そしてバックで戻して帳尻を合わせよう…としたのがいけない。
いつまで経っても駐車できない。
格闘すること5分ほど、気づけば隣に出勤した同僚がいて、「がんばれさくちゃん!」と応援してくれている。あまりにも私が入れないので誘導してくれ、なんとか駐車し出勤時間もギリギリ間に合った。明らかに曲がっているのは自分でもわかっていたけれど、降車時、知らないおっちゃんが「ほら、降りるとわかるだろ、曲がってるぞ」と強調する。おっちゃんも応援してくれてたので、悪気はない。ないんだ。あと、誰なんだ、あなたは。
6月22日 車通勤2日目
2日連続で運転すると、ちょっと「いつもの」感が出てきて、少しずつ車に親近感が持ててきた。
帰り道は職場からスーパーへ行き、その後なんだかうずうずしてしまって、さらに遠出してみようと思った。今まで自転車でしか行ったことのないところ、車通りは少なく、シンプルな道なのはわかっていたので思い切って進む。
念のためつけていたカーナビを、音が出る設定にしそびれて、田んぼに囲まれた道をとにかく進んでいく。そして案の定曲がりそびれ、気がつくと「工事中」の看板が見えて焦り、そして行く先はまた田んぼ、というか夜の山。恐怖を感じつつ、命からがら道をそれて立て直し、折り返して帰宅。地味なミッションながら、走行距離は15km。やったぁ。なんだか妙に嬉しい。ご褒美にイカの刺身を食べて日本酒を飲んだ。ご褒美多くないか。
「できない」に取り組むと、自分を褒める理由ができる
「できない」って、恥ずかしい。その思いをなかなか拭うことはできない。
だけど明らかにできないのにできるようになろうとする人を、人はけっこう、応援してくれるらしい。それに自分も微弱ながら「進めた」と感じられることは、思っていた以上に嬉しい。
たとえば私は、「はんこが彫れた」ことを自分で褒めることはない。「いいはんこが彫れた」は褒めるけど、それでもそれは、「5kmしか進めなかったのに15km進んだぞ」の喜びの種類とは違う。基本的に私は自己肯定感が低めなのだが、「できない」ことが少しずつできるようになる過程は、なんだか褒め甲斐がある。
変な話だけど、運転ができないことで人にご迷惑をかけることも多く、まだすぐに遠出はできないから、厚意に甘えてしまうことも多いだろう。だからこれは図々しいかもしれないけど。
今の気持ちとしては、「できなくてよかった」という妙な感想を抱き始めている。はじめからできるひと、なんていないけど。できないことに挑戦しやすい土壌で運転練習ができて、よかった。
目下の目標は、片道10km先の温泉に行って、ひとっぷろ浴びて帰ってくること。それができたらきっと嬉しいだろうなあ……。
自宅から盛岡駅までは23km。私にとっては距離だけの問題ではなく、車通りの多い国道を通ること、街中の込み入った道や駐車場に停められるかどうかなど…高いハードルも多々あるが…。
「盛岡まで行くのには1年かかるかな」と思っていたけれど、これは果たして短縮されるのだろうか。
とにかく安全第一で、本当に無理矢理な無理はせず、頑張っていきます。
1ヶ月後、2ヶ月後、あるいは来年の自分は、どのくらい距離を伸ばしているのだろう。