満州で生まれたおばあちゃん
小さな頃から戦争とか死に関する話に過敏で
どうしても怖くて苦手な私だったけど、
高校生くらいからは
例外を認められてたことに違和を感じて
「こういうのに向き合わなきゃ」
という気持ちも生まれてきた。
今でこそ平気とは言えないけど、
ハワイのパールハーバーに1人で行ってじっくり勉強したり、
(英語読めないとこの事実が知れない…)
同じ頃、真珠湾攻撃の影響でワシントン州から無条件に追い出され強制収容所に入れられた日系アメリカ人に関するメモリアルで考えを巡らせてみたり、
自分なりに真剣に事実を受け止めようとしてると思う。
でもそんな時、歴史好きのホストファザーに聞かれた。
「え、おばあちゃん満州生まれなの。その事件のど真ん中にいた人が身近にいるのに、何も知らないの」(←ニュアンスはこんな感じ)
確かに、一度話を聞いたことがあったけど、
もう覚えてない。
お母さんもよく知らないみたい。
これ、今聞かないとダメだよな。
ここで、おばあちゃんで、
この記憶止めたらダメだ。
それで、おばあちゃんに電話してみた。
子どもは(多分)みんな満州で生まれたこと。
(だとすると、一番上のお姉ちゃんが20歳差だから、満州事変の10年以上前からいたことになる。)
記憶を教えてもらった兄弟は最近他界してしまったこと。
お父さんは、鉄道関係で働いていたこと。
負けそうになって、ロシア兵(蔑称:ロモーズ)が攻めてきたこと。
首都のハルビンでは中国人が門番をして守ってくれていたこと。
ロモーズにばれないように、家の前に高級なツボを割っておいたこと。
おばあちゃんが3歳の時に終戦して、列車と船で帰国したこと。
列車は壁や屋根があるのではなく、ただの板のような形だったこと。
飛行機だと家族別れて帰国しなきゃいけないから船にしたこと。
飛行機で帰っていたら、墜落していたかもしれないこと。
生きて帰ってきただけですごく運の良いことだったこと。
途中で遠くを見ながら、こんなこと言ってた。
「おばあちゃんもあまり聞いてないんよね。
こういう話は、みんなしたくないやんか。」
そうなんだ、
伝えたいんじゃないかって勝手に思って聞いてたけど、
それって現代に生きる私たちと
後世に伝えたい私たちのためであって
本人たちはあまり過去の暗い話したくないよね。
確かに、どの証言記事にも、
「今まで言わなかったけど、残さなきゃと思って」
みたいなこと書いてあるもんね。
戦争は、他の国から見ると、全然違った姿を現す。
他の姿を見るとすごく驚くけれど、
今はおばあちゃんの記憶の断片を
忘れないように、したいなと思って
ここに残しておこうと思います。
もし最後まで真剣に読んでくれた方がいたら、
ありがとうございました☺️