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正しさのものさし(2024/10/17)

“正しさが正しい”世の中になったのはいつからだろう。
おそらくSNSや監視カメラが浸透し、相互監視社会とも呼べる状況になった頃からだろうか。それ以前は以前で別の苦しさがあったのだろうけど、人目に触れずに曖昧なままでいられる場所が広かった気がする。

人に認められる、お金が稼げる、PVが上がる、いいねをもらえるものでないと「価値がない」と断罪される恐怖から、清廉潔白で完璧な姿を皆が追い求めているように感じる。そして粗を見つけては石を投げる。投げている間は、自分は標的にならないから。

正しい/正しくないの判断は、「個人が何を表現するか」はたまた「頭の中で何を考えているか」にまで及んでいる。本当は、すべて何もかも自由なはずなのに。他人に迷惑をかけたり、危害を加えたりしなければ自由。いくら無駄でも、価値がなくても、気持ち悪くても、汚くても、自由。

人の頭の中まで土足で足を踏み入れない、そんな世の中の方が、息を楽に吸える気がする。でもこれも“私の考えの正しさ”を主張しているだけなのかな。

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