話すことを選ぼう
愚痴と悪口の違いを把握している人はどれくらい位いるのでしょうか。
改めて調べてみました。
人との関わり
歳を重ねるほど多くの経験を積み重ねていきます。時の流れとともに、関わる人たちも流れ、言葉も流れ、行動も流れ、留まることは何一つ無いと感じています。
ただ一つ、倫理観なのか、価値観なのか、思想なのか、自分の軸となる考え方は動かずに自分の中に留まっています。
言葉と内容
言葉や話す内容には人柄がでます。いや、本性が出ると言ってもいいかもしれません。私も決して言葉遣いがいい方では無いと思います。親しくなれば親しくなるほどに笑
でも人と話す上で大切にしていることがあります。それが愚痴なのか、悪口なのかの部分です。
「あの人さこんなこと言うんだよ〜変だよね〜」
・はなから相手の意見を受け止めずに、相手を悪く言うこと。
「あの人、こう言うんだけど、私はこう思うんだよね」
・相手の意見を受け止めた上で自分の意見の相違を言うこと。
愚痴と悪口が生まれるには第三者の存在があります。そして、言い方を一つ間違えるだけで愚痴か、悪口か、に区分されるのだと感じています。
人の話を聴く
時々、耳を塞ぎたくなる話を聴くことがあります。それは悪口です。悪口は聴く自分にとっても、悪口を言っている人にとっても発展性のないものだと感じています。話している人にとっては溜め込まれた感情を処理する場所が必要なのでしょう。そして、楽になるのかもしれません。でも、それを聴かされる人はどう処理していくのでしょうか。
その反面、愚痴はどうでしょう。
私も愚痴を言うことはあります。「なんかさ〜」「私だってさ〜」「なんでなんだろう・・・」。人に対するやりきれない想い、不満、怒りは一瞬、悪口になってしまいそうな時があります。でもそこで様々な負の感情とともに現れる愚痴は、必ずと言っていいほど自分の行いを着地点とします。
自分の反省すべき点に気づき、改めようとする姿勢に変換していくのです。そして、愚痴を話している人の言葉からも多様な考え方を「聴く」を通して、自分にとって学びある時間になると考えています。
悪口
悪口を言っている人はきっと悪気はないのでしょう。自分の中で消化できない想いを聴いてくれる人を探しているのでしょうから。
ただ、愚痴と悪口の違いを理解している人は冷静に考えるのです。眼の前で話している人の悪口の対象はきっといつか自分に変わるのかもしれない。
そして、誰にも言えない秘密さえもその人に言うことで誰かに知られていくのかもしれない。
言葉にすることを大切にしていきたいと思います。
自分が口にする言葉と内容はいとも簡単に自らを卑下することに繋げてしまうから。私が話していたことが誰に伝わってもいい語り合いを人としていきたいと思っています。