美しさを受け入れるところから始まる。

自分の醜さを認めなければ、とずっと思っていた。自分の醜さを受け入れなさい。ダメな自分もあるがままに見なさい。
よくこう言われるけど、あるがままというのは、ダメな自分を認めることなのか?よくわからなくなってしまったのだ。

自分のことを「ダメな自分」と言ってるとき、他者の目線を意識していることに気づいた。ダメということにしておかないと、自信過剰とか無責任だと思われるから「ダメな自分」ということにしている。先に自分で言って牽制しているだけなのでは。

もしかして、自分の狭い視野の範囲のなかだけで、「醜い、ダメ」と自分を定義していたのではないだろうか。確かに、私は全然美人じゃないし、スタイルもよくない。

一方でなにかが「そうじゃない」と言っているような感じがあった。そのことを深く感じてみる。他者との比較のことではなくて、いのちそのものの美しさのことを訴えている。心の深いところはいつも「醜くないんだよ、逆なんだよ、美しいんだよ」と訴えている。

あるがまま、ありのままを認めなさいというのは、むしろ「自分の美しさを認めなさい」ということなのではないだろうか。あなたは美しい。あなたのいのちは美しいんだよ。それを受け入れるんだよ。そういう意味なのでは?

私のいのちは美しい。自分がそう思えなくても、このことは事実なのだ。では、口にだして言ってみることができるだろうか。やってみると意外と難しい。自分のいのちの美しさを認めることは、結構勇気がいることに気づく。ダメだと言っている方が実はラクなことに気づく。

人前で言うのは気が引けたとしても、言わないからといって失くしてはいけない。沈黙のなかでも、語られなくても、私のいのちは本来美しいものなのだということを、何度も確かめていようと思う。

そのことを忘れないように、書き残しておきたいと思った。

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