人生一週目?


僕は今までの人生で何度も自分の人生は「一週目」だなと感じてきた。この文を読んでいる皆さんもそりゃ当たり前だろと思われるかもしれない。

だけど僕の中にはそう感じる確かな理由がある。

以下の論理は正しくないんだろうけど、僕の21年5か月の生きた証かもしれない。


よくしっかりした子役が「人生何週目?」なんて周りの大人に持て囃されている光景を皆さんも一度くらいは見たことがあるんじゃなかろうか。その要因は大抵が親に厳しく育てられたり、年上の人と多く接する機会があるといったことなんだろう。そんな当たり前のことをわかっていながらも僕は成功者に対して人生一週目じゃないんだろうなあと妬んでしまう。


ここからはそんな僕の人生一週目(と感じる)エピソードを少し羅列してみる。

・遠足やキャンプなどで見知らぬ土地につくとその後の作業よりも感慨にふけってしまう。

・部活動を同好会レベルのものと勘違いしてサッカー部に入部してしまう。

・6年間部活動を行ってきて、仲良くなれた先輩が一人もいない。

・他クラスや先輩など、話題の人物についての情報を全く有していない。

・進路の決定を親任せにしてしまう。

・大学に入学後、なんの活動もせずに友人や先輩とのつながりを持てず、就活に出遅れ、何も話せるような体験もしておらず、見事就活失敗。


少しの時間でこんなにもエピソードが出てきた。挙げればもっときりがないんだろう。多分これは大したエピソードなんかではなく、もっとド派手にやらかしたという人もいるかもしれない。

じゃあ僕が常に感じているこの違和感は何なんだということを考えたとき、ある一つの名言が本質的であると感じた。


その名言とは、元ドイツ首相ビスマルクの

「愚者は経験に学び、賢者は歴史から学ぶ」

である。まさに僕はこの「愚者」にあたる人物であり、それが本質的に人生一週目という違和感につながるのだろう。では僕はこの先、歴史から学ぶようにすればこの言葉の意味する「賢者」になれるのかといえば、そうとは思えない。

もともとの愚者と賢者、人生一週目と人生数週目の違いは自分の取り巻く環境の違いだろう。ただその違いは長い年月を経てその人自身の考え方や生き方にまで影響を及ぼし、簡単に変わることを許さないというのが僕の持論である。

結局この考察は現時点での僕の精一杯であり、愚者かつ人生一週目の偏った見方なんだろう。(そもそもこの二極構造自体が偏見に満ち溢れているが)


僕はこの先、今と同じようにつらい思いをしないために、賢者かつ人生数週目になりたい。そして簡単に変わることのできないと言い放った自分を壊したい。

一方で情けない話だが、自身の失敗から何ものにも代えがたい学びを得ることに満足している自分もいる。(こんな考えは糞喰らえだ)


皆さんは自分の人生何週目ですか?



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