現状ある「スニーカーのアングル」というものへの理解について。【後編】
その分野のルール、不文律なルールを正しく理解する、きちんと読むこと。
けしてルールブックになど書かれない、そういったハイコンテクストこそが最重要なものだ。核心となる極意とは必ず秘伝、密教である。
そんなクラスタ内で発せられる言葉とは必ず〈任意〉なので、それを共有してないナイーブな部外者にはまず理解できないし、必ず認知バイアスをする。だから出しゃばってくる場違いな部外者を放置すると不毛な議論の場へと貶められる。
したがってやむなく「あ~あ~、場違いなヤツが来ちゃったよ~(もう黙るなり、ここから立ち去ってくれないかな~)」そうやんわり醸してご退場を願う。
でも身の程知らずに誇大妄想している人だとそういう言外に含んだ意図が理解できず(あるいは理解することでより意固地になり)クソコテ化して居座る。
文化資本というのが試される。イナカモノがガリ勉し、ビギン君的にハイファッションを学んでも容易くメッキが剥がれる、そういう踏み絵がハイコンテクストなアイテム(スニーカー)だ。
田舎でも情報は手に入る、またハイブランドも手に入れられる。でもリアルなストリートだけはない。そこが弱点だ。
ストリートという野試合な実践場で場慣れする、そういった試行錯誤された場での野良試合による蓄積や集合知が、ストリートなファッションというものの力である。
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