サブカルチャーは非本質主義

サブカルチャーはカルチャー版プロレスなんですね、ギミックをつける。椎名林檎とかギミックですよね。
モーニング娘のオーディションに落ちたからアイドル売りするには足りないのでブースターとしてプロレス的なギミックをつけてサブカル売りする。
B品にギミックの化粧を施して売り物にするのがサブカルチャー(失敗した料理はカレー味やキムチ味やサブカルチャー味にして誤魔化します)。

クオリティでいうとハイカルチャーやマスカルチャーよりもロークオリティでいいのがサブカルチャー。マスカルチャーはマス向けなので万人向けに手加減してるだけで。だから実は一番サブカルチャーがチョロイ。ワナビーが作り、同じくワナビーが消費するのがサブカルチャーだから。

そのようにサブカルチャーというのはワナビーに過ぎないのに彼らが自身を過大評価するのは、ハイカルチャーの一部の人らがサブカルチャーに流入してくるからですね、美大出音大出のアカデミシャンが。
すると「自分らも彼らと同レベル。ハイカルチャーと同じクオリティなのだ」と勘違いする。ハイカルチャーじゃ食えないから打算でコマーシャルに「でもしか」で彼らは来てるだけなのに。
だからサブカルチャーで名前を売って上手いこと"ひとかど"になれると、今度は少しずつ本命であるハイカルチャーへとポジションをスライドしていく。元々ハイカルチャーだった人がかりそめな住処として、また売り出すためにサブカルチャーを利用しただけだから。
そしてサブカルチャーからハイカルチャーへの天上がりは彼らのように元々ハイカルチャー出身のアカデミシャンたちだけが許される、かぐや姫のように元の住処な天界に帰っていっただけだから。なのにサブカル・プロパーは「サブカルチャー全ての既成事実」だとソレを勘違いする。自分たちも同様にかなうロールモデルだと思い込む。

例えばファッションならあくまでハイカルチャー出身な三宅一生だけが特権的に例外でハイカルチャーなファッションデザイナーなのに、サブカルプロパーに過ぎない山本耀司や川久保玲(コムデギャルソン)らもハイカルチャーになれると勘違いする。個人の手柄をジャンルの手柄にすり替える。
少しずつハードルを下げて、なし崩しにされる。「美大でアカデミズムやってないが、慶應卒だから名誉美大アカデミシャン扱いとして自分らだけは許される」、それが通ると今度は「服飾専門卒だがコムデギャルソンやイッセーミヤケ出身だから(以下略)」と、どんどん際限なくカジュアル化してく。
サブカルチャー愛があるハイカルチャー者が志しでサブカルチャーをハイカルチャー化しても、すぐフリーライダーなサブカルチャープロパーらにその功績は食い散らかされ、元のただのサブカルチャーへとならされてしまう。

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