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言葉にする事は、共有可能なものにするということである。
誰とという限定はしない。最も狭いところには自分にだけわかる言葉というものがあるからである。
メモ帳や携帯のメモかなにかに記した文字が典型かと思うが、読めた言葉を考える。
それはパッと見て、なんとなくその全貌が思い出せる様な言葉、例えば、2/12 19a5.15、言葉というより記号であるが、これは私が19時から24時15分までアルバイトのシフトに入ったことを、意味する言葉である。
そのように、もはや完全に思い出せなくなった過去も、言葉にすればなんとなくその日がなんとなく思い出せる、気がする。
誰かが表現したテキストを読んで、或いは聴いて、見て、なんとなくその人が考えていることがわかるような気がするのも、言葉がもつ共有可能性に支えられている。
ただ、誰かの話しを聞いて、なんとなく想像できるというぐらいのものである。ここに注意しないといけない。いくらでもその発音者、歌手、芸人、自分、etc、のことを勘違いできるからである。
3000円負けた今日のパチスロの収支を、5,000円と家計簿に書くつもりである。2年後の私が勘違いするようにちょっとした悪戯である。