スマホからXを消した日。
スマホからXを消した。私にとってその日は、日常を一変させた「Xデー」と言っても過言では無い。
◇
私のiPhoneのアプリの使用時間を見ると、1日に1時間以上Xに浸かっていた。多い時には2時間以上も。
SNSごときに人間の生活が支配されるはずがない。そう思い込んでいたけれど、気づけば、朝の通勤電車の中でも、夜寝る前のベッドの中でも、Xは私の時間をじわじわと蝕んでいた。
「デジタルデトックスが大事」なんて、Twitter時代に呟いたこともあったけど、その言葉をSNSで呟いている時点で本末転倒だ。
ずっと、わかっていた。アプリ自体を消せばいいということを。
でも、ずっとできなかった。これが依存というやつなのか。
そんなある日、アプリを消さないと、私のプライドが壊される寸前まで追い込まれた。職場の同僚の言葉だった。
「その話、Xで見たような気がする。」
その一言が胸に突き刺さり、私は言葉を失った。
私は何事も人と被るというのが嫌い。特に誰かが拵えた話題に乗っかるというのは言語道断。しかし、気づいてしまったのだ。
いつの間にか、私は自分で話題を生み出せず、『借り物の知識』を披露する面白くない奴になっていたことに。
Xのアイコンを長押しすると、画面に小さな『×』が浮かび上がった。これをタップすれば、私は自由になれるのだろうか?
私は一呼吸し、気持ちだけは渾身の力で、優しくタップした。これまでの積み重ねが嘘のように、Xは一瞬で消え去った。
◇
Xを消してから、手の震えが止まらなかったって?
期待に沿うことができず申し訳ないが、一度もそんなことはなかった。スマホから消してからというもの、その日から家のパソコンでたまに見るくらいの頻度になった。
こんなにも、すんなり止めることができたことに、正直自分でも驚いている。
その反面、私の生活にとっては、それくらい取るに足らないものだったということの証明だろう。
SNSをうまく使いこなせる人もたくさんいる。しかし、私の器の小ささでは、こんなにも情報と感情で埋め尽くされる海を華麗に泳ぐことはできない。
そんな私がすべきこと。それは、引き算だ。
これまで何でもかんでも、吸収することが大事だと思っていた。けれど、スポンジが吸える水に限度があるように、脳が吸える知識量だって限られている。
脳が年齢とともに衰えていく中で、私に課せられている課題は水を絞る作業なのだ。
これはXに限った話じゃない。スマホを惰性で見ている時間自体を減らさなければ、私はどんどん没個性化の沼にはまっていく。
そして、誰もが気づくようなことを、名案のごとく思いついた。
「そうか、スマホを見ていた時間を読書に置き換えればいいのか。」
そんなこんなで、Amazonのブラックフライデーで割引になっていたから、Kindle Paperwhiteを買ってみた。
初めはiPad miniを検討していたが、Kindleの『電子書籍しか見られない』というシンプルさが、今の私にはちょうど良かった。
そして見事に、Xを見る時間を読書に移植する大手術が成功したのであった。
Xを消してからというと、仕事からの帰り道にセンセーショナルなニュースを見ることがなくなり、私の心には悠久の時が流れるようになった。
それだけじゃない。Xを手放して気づいたのは、日常の中にこそ、『私』を形作るかけがえのない時間があるということだった。そして、Xの座を奪った読書の時間は、世間の喧騒から離れて、「自分だけの考え」を育むものだと改めて実感した。
これからは、SNSで他人と同じ思考を巡るのではなく、私は次のページをめくることを選択することにしよう。今日とは違う『私』に出会うために。