いじめ経験をいつまでも忘れられない理由を、心を抉って(えぐって)考えてみる。
吾輩は猫を被ったニンゲンである。名前はぽん乃助という。
前回は、誰かを愛することをテーマに綴り、「私が深い人間関係を築くことが苦手な理由(=私が他者からの拒絶を恐れる理由)は過去のいじめにあるのではないか?」という、YouTuberたちが安易に言いそうな闇深そうな次回予告をして、幕を閉じた。
単刀直入に、私は、小中学校でも、高校でもいじめを受けたことがある。
どこからがいじめで、どこからがいじめでないかという境界線は、これまた人によって定義が異なるのが面倒な話なのだが…
私の場合は、例えば特定のシーンでいうと、トイレの個室に入っている時に上から水を掛けられるとか、上履きに画鋲を入れられるとか、全校集会で下半身の服を脱がされたりとか、クラスの全員から無視されたり嫌なことを言われたりとか、ドラマで演じられるような場面の経験をしている。
ただ、あまりにショッキングなのか、私の頭の中に強固な鍵がかかっていて思い出せない記憶もあり、夢の中や日常のふとした瞬間に、思い出したりすることもある。
テレビやYouTubeなどのメディアで、「いじめはなぜ起こるのか?」「いじめはどうやって止めるのか?」「いじめる方といじめられる方、どちらが悪いのか?」みたいな議論がされることを散見する。
そんな中で、いじめの経験者以外(専門家・インフルエンサー・芸能人など)が、好感度稼ぎや炎上狙いで語っている場面も、多く見受けられるようになった。
なので、リアルを伝えるために、経験者である私の話を一つ例として出すこととしたい。
私は中学生のとき、塾に入っていた。その塾では、いろんな中学から人が集まるのだが、たまたま自分が所属していたクラスに、いわゆる不良が多かったのだ。
ある日のこと、塾の授業後、近くにある本屋にみんな(5人ほど)で行って、「みんなで万引きしようぜ」という話になった。クラスのメンバーは、みんな、躍起に満ち溢れていた。
この同調圧力を断るのは本当に怖かったのだが、私は良心の呵責に耐えきれず、自分だけが万引きをせずに、逃げてしまった。この時から、ノリが悪い私へのいじめが始まった。
塾内で無視されたり、嫌味を言われたり、いたずらされたり、そんなことは当たり前。これに加えて、いじめてきたメンバーの一人が、自分の中学校に学内ヒエラルキーが上位の知り合いがいて、彼に伝えたのだ。その後は、想像のとおり、中学校のクラスや部活内でも、いじめが始まったのだ。
この時の自分は、どんな感情であったのだろうか。そんなことを考えていたときに、最近映画化された小説『かがみの孤城』で、その感情が克明に言語化されていた。私の過去の感情が呼び覚まされた。
-殺されて、しまうかもしれない-
これが、いじめられているときに最も近い感情だと思う。「ツラい」「怖い」なんて言葉では言い表せるものではない。常に周りの皆から、一斉に銃口を向けられ、「明日は殺される」という焦りも入り混じった終わらない感情なのだ。
「いじめを苦にして自殺未遂」とか、そういう情報は、スマホを見ていると淡々と流れてくる。加害者を攻撃するコメントや被害者を慈しむコメントが目立つこともある。
でも、その時に被害者は何を考えていたのか、そういう情報はあまり伝わってこない。
「いじめる方が悪い」とか、「いじめられる方が悪い」とか、そんな理屈で割り切るような話は、私にとってはどうでもいい。なんなら、いじめられてきた私自身にも原因があることは、誰かに偉そうに言われなくたって、重々分かってる。
ただ、「明日は殺される」という感情を毎日経験したことがある被害者にとっては、加害者と違って、時効なんてあるわけがない。成人になったって、忘れられるはずがないのだ。
他人にとっては、昔いじめられてたと知ったところで、「ふーん」で終わる話。でも、本人にとっては一生のコンプレックスなのが、過去のいじめ経験の本質なんだと思う。
最近テレビによく出ている脳科学者の中野信子氏が、以前、ネット記事でこんなコメントをしていたのを思い出した。
この記事のとおり、薄々はわかっているけど、いじめを無くすというのは難しいと思う。そして、過去のいじめ経験を忘れるのも、簡単な話じゃない。だけど、どう向き合うのかということは、自分で選択できる唯一のことだと思う。
だから私は、人と深く関わるのが怖いのだろう。人を愛することも苦手なのだろう。
でも、それは決して悪いことなんじゃなくて、凍てつくように厳しいこの世界で居場所を作るための、「人と距離を置く」という処世術なんだと思う。
そっか、私が被っている猫は、単なる装飾品ではないんだ。自分の心のお守りなんだ。
だけど、いつか被っている猫を外して、人を愛せるようになる希望は、忘れないようにしたい。
…久々に心を抉りに抉った気がする。でも、なんかスッキリしたな。明日からまた、頑張ろう。
次回は、とにかく明るい記事を書くことにする。