気づけば35歳の夏である。 noteをはじめてはや3年。ここまで書いた本数は9本。 この文章が映えある10本目となる。 3年で10本というと少ない。圧倒的に少ない。 1年で約3本ペース。これが許されるのは大作家先生くらいではないだろうか。 (好き勝手やってるから別にいいのだけれども) ここ3年はコロナ禍というのもあり、いろいろと制限がかかった日々が続いた。 そういった中でもちろんやりたいこともできなかったし、制限が解ければ、あれやろうこれやろうと思い描いた。 だが、しかし
https://note.com/suke_note_/n/n4d6f764b1644 この世に絶対は無いけれど、また姿を見れるコトは無いに等しいのだろう。 1年半前に書いたnoteの最後にこう綴った。その時はもう人前に出てくる事はもうないなと感じられたし、この記事をもって、思い出と一緒に生きていくという気持ちで最後の更新をした記憶がある。 しかし、本当にこの世には絶対などなかったととあるツイートで思い知らされることとなる。 なんとなく見てたインスタでセレッソサポにな
以前に、というか約5ヶ月前にかつて推していたアイドルのことを書いた。 アイドルを卒業と同時に芸能界も引退した彼女。 概ね卒業したアイドルはがインスタやTwitterなどのSNSなどで卒業後の自分を発信している。 が、彼女はすっぱりと消えた。それは完全にやり切ったと卒業公演で語ったこととリンクしていたし、そもそも不器用で自分から発信することが苦手だったことを思い起こせばそりゃそうだなって納得できた。 だから第二の人生も明るく元気に過ごしていればいいなと思いながらも、彼女と
仕事中ふと頭を抱えてしまうような恥ずかしくなる過去を思い出すことがある。 小学生の時にカッコつけしいだった自分やパソコンの授業中にふざけた結果、ガラスを割ってしまったコト。 中学生時代にはモブで3軍なのにホームルームで生意気言って女子からフルボッコにされ総スカンを喰らったことや運動会の役割決めで立候補したのに圧倒的支持のなさで敗れ去った事。 それに男子校に通っていた頃。その時期のロンドンハーツはゴールデンタイム真っ只中で、その中でもブラックメールという企画が大メインコーナー
2週間に1回更新を目標にしていたのに、2ヶ月経ってしまった。 あ、あけましておめでとうございます。松岡です。 最後に更新して以降、個人的に多忙になる変化があって、なかなか筆(スマホ?PC?)をとる時間がなかったのが正直なところで。 「時間がないのは言い訳。時間は作るもの。」 と言う人も多いが、その場その場に合わせた行動をチョイスしていくと、その結果としてそこに割く時間はやっぱりないよねー!ってなることも考慮していただきたいと、ルーティンを作ることの難しさとともに感じている
猛威を奮いまくっている新型コロナとは適切な距離を取りつつ付き合うことが自然になりつつあった9月のある日。新日本プロレスを観るために仙台サンプラザの3階席に僕はいた。 興行も6月から再開し、海外選手の参戦はもちろんなかったものの、リング上の闘いは相変わらず熱くそして活気がみなぎるもので、久しぶりに観る生のプロレスを第1試合からメインまで堪能した。 内藤哲也、飯伏幸太、オカダカズチカ、棚橋弘至に高橋ヒロム…多くのスター選手が出てくる中、今日のお目当ての選手が第2試合で入場してき
なんにも予定がない…というか行動が制限された虚無に等しくただただ長く苦痛なお盆が明け、また働く日々が始まった。 が、そこに一つ仕事場に異変が起こった。 会社設立以来、長年にわたり休みなく一筋で働き、現在では私の相棒的存在であるパートさんが体調を崩し、しばらくの間休養することになり、その間パートさんが担当している場所に私が対応して行くことになった。 だが、事はうまく運ばなかった。 隣で2〜3年は仕事を見てきたし、それなりにどうすればいいかは教えていただいたし、分かっているは
今年の6月で32歳になった。とあるサイトでは男性の結婚適齢期は社会人4年目から30代前半と謳われているところから、今ちょうど適齢期に入っているらしい。 東北の田舎で実家暮らしをしている私の周りでは、所帯を持つ友人が多くなった。つい最近も6つ下のソフトボールチームの仲間から「結婚式出席してくれませんか?」というLINEがきたし、試合があれば、奥様と子供が旦那の勇姿を見届けるためにやってくる光景も珍しくなくなった。 そしてなによりも盆と正月、親戚が一堂に会する場での会話の序盤。
With コロナの時代である。新型コロナが日本中を駆け回り、非常事態宣言が発令されて、日常が日常ではなくなった時、「趣味が淘汰されるな」って思った。 スポーツ観戦が好きな自分はスポーツそのものを取り上げられ、運動も散歩やジョギング程度しかできなくなった。頻繁にではなかったが、行くと楽しいと感じられた酒の席にも近寄らなくなったし、軽い気持ちでの食事にすら行けなくなった。そういう日々に突入してしまった中で、「宣言が解除された時にコロナ以前の熱量は帰ってくるのか?」と強く思うよう
自分にとって何かを作り出すのは難しい。 やろう!やりたい!と思うところまではいい。しかし、それを実行するのはもちろん労力や時間もいるし、自分にそれを実行するには足りないモノ(能力)も分かり、そこで簡単に折れてしまう。 それでまた今度でいいや…となり、そして霧散のように消えていったモノは数知れない。それがたとえ文章を書くことでさえもだ。 そんな私が何故また文章を書こうとするのか? それは日々自分が思いつくことや考えることが自分を作り上げているはずなのに、日々の生活の中でそれを