選挙で「脱コロナ対策」は争点になりうるか

イギリスに続いて、デンマークもコロナ規制は撤廃した模様です。

アメリカもフランスもオミクロン株による感染拡大がピークアウトしていますので、早晩どんな国であってもオミクロン株の感染は終息していくものと予想されます。

思い返せば、全世界の人々がこの丸2年コロナウィルスに大きく生活を制限され、不自由な目にあい、場合によっては経済的に困ったりしてきました。いかに忍耐強くとも、フラストレーションの蓄積は臨界点を迎えているといっても過言ではなく、「いったいいつになればこの騒ぎはおさまるのか」と思っている人はきっと多いことでしょう。

第1波の時には他国の戒厳令や戦時下以上の自制をもろともしなかった「お上」に従順な日本人ですら、おそらく対策としての有効性が不明確な緊急事態宣言には消極的で、「もういい加減にしろ」と思う人が水面下で増えているのではないかと思います。

未だインフルエンザより脅威度が高いものの、歴史上の疫病であるペストや天然痘やかつて国民病とまでいわれた特効薬がなかったころの結核と、ワクチンが行き届いた状況下のコロナとでは比較にならないぐらいコロナの方が脅威度は低い訳で、もはや「コロナの脅威」で大多数の市民の行動を抑制しようというのは為政者ならば無理があると考え始めているのではないでしょうか?

「いつまだ新しい毒性の強い感染力のある株ができるかもしれない」という理由で、いまだガードを最大限するよう説く人がいます。基本的にウィルスというのは弱毒化する代わりに感染力を高めていく変異をたどりますので、ここまで感染力のつよい株がでてきたら、その感染力を維持しながらより高い毒性をもつ株が誕生する可能性はあまり現実的ではないように思います。

つまりはより感染力がましても、毒性は低くなる可能性が高いので、よりイインフルエンザや風邪に近づいていくのは必然に近い流れになっていくのではないでしょうか。スペイン風邪だって最終的には季節性インフルエンザになりました。ブースター接種や経口薬のラインナップが充実し、容易に供給されればすればより脅威度が落ちていくことでしょう。

マスクも毎日つけ、食事会・飲み会もできず、里帰りにも躊躇するような状況をこれからも未来永劫つづくといいなと思っている人は変人を除いて皆無だと考えていいでしょう。みんなそんな生活に終焉を打ちたいと思っているはずです。しかし、「どうなればコロナが終わりなのか」という定量的な基準は未だ示されていません。スペイン風邪と違って今はWHOがありますから、そこが終息宣言を出す可能性はありますが、かなりの国でリスクが極小な状態にならないと出せないと思いますから、自国にとって適切なタイミングでだされるものであるのかどうかはまた別の話になります。

ということになれば、結局のところ、各国におけるコロナの終焉は、自国の決断によるものでしかなく、それは政治による意思決定に他ならないということです。現代の民主主義国家であれば、市民の命というのは基本大事なものとして扱われます。しかし何よりも絶対的に優先事項かと言われれば、そうではなく、身もふたもないことを言えば、「数万の著しい不利益」と「一人の命」であれば、前者の解消を優先させるという損得勘定というか「集団の理屈」があります。そしてコロナウィルスは今「集団の理屈」と「個人の命」の天秤が拮抗しあうレベルまで脅威度がおちてきたという段階まできたと思っています。

みんなオミクロンでパニくっているから、見失っていますが、「感染予防」とは「死に至るかもしれない病に感染し、死なないためにする措置」であったはずが今や「感染しないこと自体」が目的化しているような気がしています。あまりにも長い間コロナ漬けだったために、「コロナがどれくらい死に直結するのか」という根本の基準に目がいかなくなってしまっているんではないでしょうか。

立憲共産党の元代表・枝野氏が一時「ゼロコロナ」をスローガンに掲げて、あまりにも無謀な呼びかけだったことに気づいて、すぐに引っ込めたということがありましたが、「ゼロコロナ」なんてありえません。コロナが消えることはないのです。ただ、コロナの脅威度は右肩下がりに下がっています。とするならば、必ずどの程度のリスクで人々を制限するのが妥当かという議論がおこり、「リスクは極小」と考える人が過半数を超えれば、どこかで「微小なリスクはないものとみなす」という政治判断として具現化されるということになります。

別に私は「コロナはただの風邪」論者ではありません。私が言いたいのは、コロナの終焉は誰が決めるのではなく、国民個々の意思の集合体になるということです。日本人はどうしても上からの意見に従いがちですが、コロナについては何をどうすれば終わりなのかという明確な解はない以上、誰かが決めてくれるということはありません。岸田総理も尾身さんにもWHOにも定見はありません。国民一人一人がどう思い切るかという判断をしていかねばならないということです。

実際夏には参議院議員選挙がありますから、そこの場で各党「脱コロナ」をどのように達成していくのか公約に謳ってもらいたいと考えています。そのころにはブースターを受けたい人は受け、経口の治療薬も出回っていることでしょう。イギリスやデンマークなどの早期脱コロナ組がどういう状況かも観察できます。タイミング的にもコロナ対策のシフトチェンジとして良い頃合いではないでしょうか。是非国民の関心事である「脱コロナ」について正面から議論し、国民が投票行動を通じて意思表示できるような機会があればと思います。それがあるかどうかも国民の声次第ですが。

でも流れは変わってるんじゃないですかね。まっちゃんの指摘通り、①リスクに対して過大な措置と②現状にあっていない意味のない措置には国民も我慢の限界に達していると思います。みんなの意見がよい方向に集まることを願ってやみません。






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