僕をアフリカへと導いた「死」
子どもの頃から夢だった鉄道会社に入社して3ヶ月が過ぎた頃のこと。当時の僕は、タイで鉄道に関するインタビューを行った際に、「鉄道は怖い。わたしには全く関わりがなく、未知なものだから。」と言われたことをきっかけに、国際協力に興味を持っていた。(この辺りの話はまた別記事に詳しく書きます。)
ほぼ毎日のように仕事が終わったあとにそのまま新幹線に乗って浜松から名古屋や静岡まで行き、国際協力関係のイベントに参加して終電で帰宅するという日々を過ごしていた。中でもとりわけ、子ども兵のことが頭に残っていた。自分もなにか、社会の不条理に対して貢献したい。そんな気持ちを持っていた。
表向きの理由はそうだった。でも、正直に言えば、ただみんなと違うことがしたかっただけという部分もあった。「学生のときが1番楽しかった」そう言っている人が多くいる環境。その中で、周りと同じことをしていたら、自分も同じようになってしまうのではないかという不安もあった。だから、とにかく周りの人が絶対にやらなさそうなことをしたかったのだ。それによって、「今が1番最高だ」って言い続けられると思っていた。今思い返せば、そんなことをせずとも、物事の捉え方次第でいくらでも変わることはできたのだけど。
とにかく皆んなとは違ったことをしたかった僕は、ふとアフリカに行くというアイディアを思いついた。当時、国際社会協力関係のイベントに行きまくっていたこともあり、周りにはアフリカに行ったことがある人が集まっていた。「社会人になったから行けない。」この言葉はよく聞く言葉であり、それによって人生の幅が狭まり、自分が本当にしたいことをできずに生きている大人たちを沢山みてきた。でも、それって本当にできないことなのだろうか?やってはいけないなんて法律はどこにもないはず。ならば、できないことはないはずだ。
そう思った僕は、直属の先輩にいつ頃なら仕事が落ち着きそうで、長期休暇を取りやすそうかをきいてみた。なんとなく、仕事が落ち着きそうなタイミングがわかったところで、自分の退路を断つためにも、キャンセル不可のアフリカまでの往復航空券を予約した。その値段、10万円。これでもう逃げる事はできない。
それから、上司に相談を始めた。直属の上司はびっくりしていたものの、応援してくれた。しかし、職場長は大反対した。無理もない。新入社員が突然1ヶ月ほど休んでアフリカに行くと言い始めたのだ。前代未聞すぎる。
飲み会の席で職場長から「そういえば、アフリカに行く話はなしになったんだよね?」と言われたこともあった。そんな話など一度たりともしたことがない。都合よく、僕の意思をかき消そうとしていると分かった僕はすかさず、「いえ、行きますよ」と反発してみたのだが、権力によってあたかも自分の意思がなくされたような感じがして内心すごくモヤモヤした。
「気持ちは分かるけど仕事だからね。でも、その気持ちは俺個人としてはすごく応援しているよ。」
と直属の上司。こういうとき、「応援している」と言ってくれる人の存在にどれだけ救われただろうか。一人でもいいから自分のことを受け止めてくれる人がいることは僕にとってすごくありがたかった。その一方で、「仕事だから」という言葉がすごく頭に残った。この言葉だけでなぜ、何もかも諦めてしまうのだろう。この言葉が「学生の時が1番楽しかった」という大人たちを作り出しているとすら感じた。だからこそ、自分は絶対に「仕事だから」という理由で諦めることだけはしたくなかった。
しかしながら、時々、本当にそこまでしていく必要があるのか。せっかく、ずっと幼稚園の頃から夢見ていた仕事に就けたというのに。別に今行かなくてもいいのではないか。そういった想いが芽生えることもあった。
そんなとき、悲劇は起きた。大学のサークルの先輩が水難事故で亡くなったのだ。何度か一緒に山に登ったことのある先輩。僕と3つしか歳の変わらない先輩。そんな彼女が亡くなったという話をきいたとき、僕の世界は大きく揺れ動いた。自分と同じくらいの歳の身近な人が亡くなるのは人生で初めてだった。初めて、自分の「死」を意識するようになった。今、生きていることは当たり前ではない。明日があるなんて保証はどこにもない。そんな当たり前の事実を突きつけられた。
一方で、この出来事が僕の背中を押してくれた。明日生きているといる保証もないこの世界の中で、どうして仕事を理由にして今自分が本当にやりたいことを後回しにできるだろうか。もし、僕が明日死んだとしたら、仕事を理由にアフリカに行かなかったことを後悔する。後悔だけはしたくない。そんな想いが僕をアフリカへと駆り立てた。
「なんとしてでもアフリカへ行く。」
そう決めた僕は翌日、僕がアフリカに行くことに対して、相手が懸念しているポイント一つ一つ(感染症など)に対して、対応策をそれぞれ記した書類を作成し、改めて交渉した。幾度とない交渉の末、最終的には呆れられたような形ではあったものの、なんとか休暇を頂いてアフリカへ飛び立つことができるようになった。
こうして、夢だった鉄道会社に入社して1年目にいきなり長期休暇を取得してアフリカに行き始めるという、「ヤバい」新入社員が誕生したのであった。