惑星すかっちの紹介(自己紹介)
「すかっちってつかみどころがないよね」と言われることがちょくちょくあるので、僕の大雑把な自己紹介を書いてみることにしました(笑)
ちなみに、”惑星”すかっちと書いているのは、僕が一人一人を”星”のような存在だと思っていて、一つとして同じ星が存在しないように、一人一人の人もそれぞれの輝き方があると思っているからです。
惑星すかっちの概要
1996年生まれ愛知県育ち。
寄り道が大好きで基本的にまっすぐ進まない道草のプロ。
湧水巡りと地図遊びが趣味。
ア福リカ(Nakarabu)共同創立者。
世界20カ国、日本3周した旅人で
アフリカをはじめ、世界の伝統的な暮らしが続く村にホームステイして対話する機会を創っている。
自分にとっての幸せや豊かさ、自然と調和した暮らしを探求することをサポートするファシリテーターとして国内外で活動している。
その他に国内では、鳥取県大山町にてアフリカの村のような暮らしを実践するシェアハウス兼ゲストハウス「アフリカの風ハクナマタタ」を運営している。
主な活動
僕の活動は多岐にわたり、いったい何をしている人なのかわからないと言われることが多いですが、すべての活動は
”人生に誇りをもって生きる人であふれてほしい”
という願いから生まれています。何している人かと一言で応えるとすれば
”誇りある人生を育むサポーター”
というのが一番しっくりくるかもしれません。
自分にとっての幸せ、豊かさは何なのか?を探求し、それを暮らしの中に取り入れた愛おしい日常をみんなで一緒に創っていく。これが僕のやっていること(抽象的バージョン)です。具体的な活動としては大きく分けて次の5つに分けられます。
①ア福リカ(Nakaribu)〜アフリカ的幸福から日本の豊かな暮らしを探求する
主にタンザニアやガーナの村にみんなでホームステイするプログラムや
日本国内でアフリカ的暮らしを通して人生をDIYする合宿などを行っています。
https://afukurica.studio.site/
②鳥取県大山町にてアフリカ的暮らしを通して豊かな暮らしを探求する
シェアハウス兼ゲストハウスの運営
アフリカ的暮らしとは、地域とつながって人と人とのつながりを大切に生きるということ。伝統を大切に、自分たちの暮らしを自分たちの手で作っていくこと。アフリカを入り口に人口最小の鳥取県の関係人口を増やして日本の伝統的な暮らしの豊かさを発信する。
https://hakunamatata-daisen.studio.site/
③作家、アーティスト活動、講演活動
自分のこれまでの旅や自己の探求から得た学びを写真とエッセイの展示会として出展したり、講演させてもらったりしています。また、抽象画と詩、写真を組み合わせたエッセイ本を創作中で、2025年頃に完成予定。
第一回目の写真とエッセイの作品はオンラインにて無料公開中。
https://note.com/afukurica_world/m/m2b04f7919b92
④対話の場づくり、ファシリテーター
伝統的暮らしが今も続いてるラダックの村にホームステイして
自然と調和した暮らしや自分にとっての豊かさを探求するプログラムをNPO法人ジュレーラダックさんと行っています。今後はより多くの”世界のローカル”を舞台に活動している仲間とともにローカルやその土地での暮らしに誇りをもって生きる人々とともに、豊かな人生を探求するプログラム作りを行っていく予定です。
https://www.julayladakh.org/%E8%A4%87%E8%A3%BD-%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%84%E3%82%A2%E3%83%BC
⑤”今”を味わうコーチング~自分の心という”今”を味わいながら”未来”へ進むサポート
人生相談したいという方向けにオンラインでお話を聴くセッションを行っています。
https://note.com/sukacchi/n/nab099fd9c009
私の歩み
①幼少期〜小学生時代
1996年生まれ。愛知県幸田町で育つ。
鉄道と飛行機が大好き。
動植物とテレパシーで話せる感性を持っていたり、発達障害のグレーゾーンであったりで、変わった人と言われることが多かった。
動植物も人と同じ仲間だと思っているのに、毎日その仲間を殺さなければ生きていけないこの世界の仕組みに疑問を持って過ごす。
②中学高校生時代
友達には恵まれていたものの、「変わったやつ」と言われることを恐れ、自分の心には蓋をして生きる。
この世界の構造に興味があり、宇宙や地球について独学で勉強を始める。
物理数学が大好きで、エンジニアという立場から鉄道や飛行機に関わりたいと思い、工学部に進学を決める。
③大学時代(3年目まで)
毎年新しいサークルに入るという変わったスタイル。ハロウィンパーティーでバナナの仮装をしたことがきっかけでサンタクロースのボランティア(NPO法人チャリティーサンタ)にスカウトされる。この出会いがきっかけで人生が変わる。
④大学時代(4年目)
夢だった鉄道会社から内定をもらう。しかし、就活中に出会った働いている人たちが楽しそうではないことに違和感を覚える。
一方でチャリティーサンタでは何歳になっても楽しく生きている人たちがたくさんいて、自分もそのような生き方をすることを決心する。
誘われたら断らないキャンペーンを始めて、様々なジャンルのイベントに参加したり、時には怪しいビジネスの集まりに参加したり。他にも初めての海外一人旅で北欧を周ったり、日本をヒッチハイクと鈍行で巡る旅をしたりもした。
いろんな世界を見れば見るほど、自分が夢見ていた会社の中では自分らしく生きることができなくなってしまうのではないかという不安に陥った。人生迷走して卒業旅行を全てキャンセルする代わりに旅革命というプログラムに参加。その中で
「お前はその中でも最高だって思える生き方をしたらいい」
と背中を押されて鉄道会社への入社を決意。
⑤会社員時代(1年目)
「日本の鉄道を海外に広めたい」と思うも会社でその分野に関われるのは早くて10年後だと知る。
我慢しきれずに3連休がある度に海外に飛び立ち、旅をしながら現地でインタビューを行った。貧困層の人から
「鉄道は私にとって関わりがないもので怖い」
という言葉をもらったことがきっかけで、世界の不条理について考える日々を送るようになる。
仕事しながら週3くらいで国際協力に関係するイベントに参加しまくる日々を送る。その中でアフリカに行きたくなり、
「どうしてもアフリカ行きたいので1ヶ月休ませてください」
と会社に無理を言って、ウガンダ・ルワンダ ・ケニアへ一人で旅立つ。現地では、貧乏な暮らしを目の当たりにする一方で、その中でも弾ける笑顔ですごす人々と出会う。このころから、”幸せ”や”豊かさ”ってなんだろう?という問いが生まれる。
アフリカへと旅立った詳しい経緯はこちら。
https://note.com/sukacchi/n/n717bc7b936a6
⑥会社員時代(2年目)
僕の人生に転機をもたらしてくれたチャリティーサンタに恩返しがしたいという気持ちから、浜松支部の代表を務める。
アフリカでの経験が自分の中でなかなか処理できず、今までほとんど外に出ていた生活から一転して、仕事以外はずっと引きこもって国際協力やソーシャルビジネス、アフリカや生き方に関する本をひたすらに読む日々を送る。
世界の不条理を目の当たりにしたことが頭に残って、"社会に良い"ことがしたいと思ってソーシャルビジネス関係の会社に転職活動を始めるものの苦戦する日々。
「社会にとって”良い”ってなんだろう。」
そんな問いと向き合っていく中で、”社会”とは一部の人類しか入っていないことに加え、1人のヒトが生きるために他の多くの動植物たちの命が犠牲になっているという事実を思い出す。社会にとって”良い”こと、ヒトを助けること、それは絶対的に”良い”とは言えないと思った。絶対的に"良い"ものなんて存在しない。結局頼れるのは自分の"好き"だけだった。
自分の"好き"をもっと追求する生き方をする人が増えたらいいのに。そんな社会になったらいいのに。そんな想いから、教育や多様な生き方に興味を持つようになり、”好き”を軸に生きる人をサポートしたいと思いコーチングを学び始める。
そんなときに、僕にとって大きな出来事が起こった。親しい友の”死”だ。明日が来る補償なんてどこにもないということを強く思い知らされた。僕が道草を大事にするのはこのためだ。なにかを目指すことに必死になってその途中を楽しむことを忘れてしまうと、いつか突然訪れる”終わり”に後悔する。だからこそ僕は道草を大事にしたい。人生とは壮大な”道草”なのだ。
そして生きることや死ぬことについて考えていく中で、アフリカで死が身近にあったことを思い出した。それと同時にアフリカに行ったときに見た現地の人たちの笑顔の底には、困難な状況の中でも幸せを見つけて心のままに生きる"生き方"が存在していたと気づき始める。
生と死はセット。どちらかを薄めればもう片方も薄れてゆくんだ。死が身近な彼らだからこそ彼らの生き方は美しいんだ。きっと昔の日本だって似たような生き方をしていたんだ。そんな彼らの生き方は僕たちが忘れかけていた”何か”を教えてくれるのではないか。
しかし、これまでのアフリカへの関わり方というと、ほとんどが現地の社会課題に焦点が当たっていて、アフリカから”学ぶ”という視点はほとんどなかった。アフリカから幸福や生き方を”学ぶ”関わり方があってもいいはずだ。アフリカには貧困や紛争など負の側面も存在するのは確かだが、それが全てではない。北欧とは違った幸福感がアフリカには存在するから、幸福を学ぶ”留学先”としてアフリカが選ばれるようになってほしい。
そんな願いから、大したアフリカ経験があるわけでもないのに、自分でプチ講演会を企画するなどしてみるもののもちろん苦戦。そんなときに、似た志を持った自称国産アフリカ人KAKAとマザーテレサ級の愛を持った旅人あかちょに出会う。意気投合してア福リカ(Nakaribu)として活動を始める。
⑥会社を辞めてホームレス時代
2年3ヵ月勤めた鉄道の仕事を辞めて、2年間の無拠点ホームレス暮らしをする傍ら、アフリカ的暮らしと対話を組み合わせて豊かな人生を探求する合宿を日本各地のご縁のあった場所で開催する。
この間は家がなかったなずなのに
「今日は砂浜で寝ていました」などと言っているうちに泊めさせていただける機会に恵まれて、いつでも帰れる家族のような存在が日本中、世界中にできて人のあたたかさに包まれる日々を送る。このとき、野宿後に家で寝られるありがたみに感動したことから
断食の”食ではなくて”住”バージョンとして、定期的なホームレス生活(野宿)をして、幸せに”気づく”力を今でも磨き続けている。
⑦鳥取と北海道とアフリカの3拠点暮らし時代
場所にとらわれずに”自由に”生きていた僕だったが、流れ者であるがためにその土地に深くかかわって一緒に活動していくことが難しいという現実から自由なはずなの不自由さを感じるようになる。そこで、ある程度場所を絞って少しだけ”不自由”にすることで関わっていける活動(自由)を創っていこうと思っていた。そんなときに、アフリカの暮らしを通して日本に豊かな暮らしをつくっていきたいという似た想いを持った一般社団法人アフリカの風Hakuna Matataのみかさんと出会い、鳥取で一緒に活動していくことになった。
さらに新型コロナがようやく落ち着いたこともあり、アフリカ現地の村へ行くプログラムをスタート。
これを機に頑張って拠点を絞った結果、活動拠点である鳥取とアフリカに当時の相方(パートナー)の住む北海道を加えて3拠点生活がはじまった。
その後アフリカだけではなく他の地域での企画もコラボでしてみたいと思い、標高4,300mの村のあるラダックでも暮らす経験を経てラダックの企画にも携わるようになる。
そして今、さらなる変革期を迎えようとしている。詳細はまた自分の心が落ち着いたころに書き加えます。
僕の生き方、目指している世界に興味持ってくれた方、講演してほしいと思った方、ぜひお話ししましょう!
野宿日記はこちら。
https://note.com/sukacchi/n/n4334014eb2bc
道草哲学はこちら。
https://note.com/sukacchi/n/n9dd598be5526