アートレビュー | 忘れられた炭鉱夫たちの記憶 | リバーベッド・シアター(河床劇團)《忘れられたもの(被遺忘的)》
リバーベッド・シアター(河床劇團)は台湾で1984年に発生した炭鉱災害をテーマに、社会的批判を織り交ぜた、現実と幻想が交錯するパフォーマンス《忘れられたもの(被遺忘的)》を公演した。この作品は2021年に台北国家劇場で初演され、2023年12月2日と3日に台中国家歌劇院で再演。本作の制作は2013年に始まり、劇団はアーティスト高俊宏(ガオ・ジュンホン)の招待で、廃墟となった海山炭鉱跡地を訪れ、当時の鉱夫たちの生活の痕跡を目の当たりにした。長期間のリサーチとインタビューを経て制作された本作は、身体表現と空間演出を強調した独自の演出が特徴である。約4割の内容を変更し、今回の公演に合わせてより柔軟な演出が実現された。
リバーベッド・シアターはシカゴ出身の演出家・美術家クレイグ・クィンテロ(郭文泰)によって1988年に台北で設立された。彼らは、ビジュアル・アートとパフォーマンス・アートをかけ合わせたトータル・シアター[1]であり、常に実験的な作品を発表している。川とベッドから由来している劇団名は、「流動的な夢」がみられるようにと名付けられた。慌ただしい日常の中で立ち止まって考える余裕のない私たちに、作品を通じて異なる価値観や他者の夢を感じ取ってほしいという願いが込められている。近年ではVR作品も制作し、国際的な映画祭で受賞を重ね、注目を集めていおり、彼らは今後も演劇の新たな可能性に挑戦し続けると期待されている。
1984年台湾炭鉱災害:忘れ去られた労働者たちの記憶
1984年、台湾の炭鉱では3回にわたる大規模な災害が発生し、地下深く働いていた289人の炭鉱夫たちが相次ぐ悲劇的な災害によって命を失った。これらの労働者は、台湾の経済成長に大きく貢献したにもかかわらず、十分な注目を浴びることなく、約40年が経過した今、多くの人々の記憶から薄れつつある。
1980年代、台湾は戒厳令下の権威主義体制から、より開かれた民主主義社会へと移行した激動の時代であった。この経済成長の影で、労働者たちは過酷な長時間労働や低賃金に苦しんでいた。特に、1984年の海山炭鉱爆発事故や瑞芳炭鉱火災事故といった一連の災害は、労働者の安全意識を高め、社会全体に大きな影響を与えた。こうした背景の中で、労働者の権利意識は次第に強まり、1986年の基隆バスストライキや1988年の520農民運動といった抗議活動が増加していった。
1984年、台湾で発生した3つの炭鉱災害の中でも、特に6月20日の土城海山炭鉱爆発では72人が死亡。この事故は、台車が高圧電線に衝突して火花が生じ、粉塵爆発を引き起こした。さらに、7月10日には瑞芳の煤山炭鉱で103人が火災により死亡し、これは戦後最悪の炭鉱事故とされている。12月5日には三峡海山一坑で93人が犠牲となり、これらの連続的な事故は炭鉱労働者やその家族、そして社会全体に大きな衝撃を与えた。こうした災害を契機に、政府は炭鉱業の転換を進め、石炭の輸入を増加させる政策を取った。この1984年が、台湾の炭鉱業が大きな転換点を迎えた年とされ、2000年には最後の炭鉱が閉鎖され、台湾の石炭採掘は完全に終了した。[2]
リバーベッド・シアターが描く闇の物語
《忘れられたもの》の舞台全体は、過去と現在が交錯する空間として構成されている。幕開けでは、暗闇の中でスポットライトに照らされた3人の女性が、赤いドレスを纏い、くるくると回転しながら高音で歌い始める。彼女たちの姿は、まるで死神の使いのように、観客を異次元の世界へと引き込むかのようだ。この序盤から、作品は言葉ではなく、身体表現と視覚的象徴を通じてナラティブを伝えることを示唆している。
本作は、鉱夫たちが経験した苦しみや絶望を視覚的に象徴するシーンの連続で描いている。透明のケースの中でスモークが焚かれ、視界を遮られたまま、体を圧迫されながらも進む動きは、鉱夫たちが暗闇のトンネルで直面した危険で過酷な作業環境を象徴している。さらに、白い柱が鉱夫たちの上に次々と崩れ落ちるシーンは、彼らが抱いていた絶え間ない不安や恐怖を表現している。リバーベッド・シアターは、抽象的な形状や構造物を舞台上にインスタレーション作品のように配置し、身体表現と組み合わせることで、観客に強烈なイメージを刻みつける。この作品の時間軸は直線的ではなく、過去と現在が前後しながら織り交ぜられ、まるで夢の中にいるかのような錯覚を観客に与える。
また、本作は、単に台湾の鉱山労働者の苦境を描くだけではなく、資本主義の労働構造や社会的不平等に対する批判を内包している。舞台上では、阿修羅のように数十本の腕を持つ怪物が無心に石炭を食べ続け、最終的には吐き出すというシーンが登場する。この怪物は、資源と労働力を搾取し続ける資本主義の象徴であり、鉱山労働者たちが命をすり減らして働き続けても、最終的に吐き出された富は無価値なものとして捨てられてしまう。資本主義の欲望とは一体何なのかという問いを投げかける、強烈なシーンであったと私のなかの記憶に刻まれた。このシーンのクリエーションについて、クィンテロは演者たちと実際に身体を動かしながらアイディアを出し合い、決定していったと語っている。リリバーベッド・シアターは、クィンテロが中心となって柔軟かつ流動的な制作プロセスを採用しており、作品ごとに異なるスタッフや演者が集められ、常に進化する形式で制作が進められる。今回の作品で約4割の内容が更新されたのは、この制作手法の結果であろう。[3]
リバーベッド・シアターのクリエーションの核
私は、台北芸術大学で行われたクレイグ・クィンテロの講義に参加した。のレクチャーは、彼が18歳の時に体験した、ある抽象的で実験的なパフォーマンスに強く影響された話から始まった。その舞台では、40代くらいの女性が死んだハトの翼を魚に縫い付けたり、自分の髪を混ぜてパンを焼いたり、大きな豚の骨の上に裸で横たわったりするという、型破りで超現実的な演出がなされていた。そして、彼はその時、彼女が歌っていた歌を私たちにも歌って聴かせた。
そのパフォーマンスは、演技ではなく、象徴的な行動の連鎖だった。従来のストーリーテリングの枠を超え、観客に対して物語の意味を自分で見出すことを求めるものだった。一体このパフォーマンスが何なのか、クィンテロ自身も当初はその意味に戸惑ったという。しかし、後に制作者との対話を通じて、パフォーマンスの意味は主観的で個人的なものであると気づいたという。この体験を通じて、彼は次のように問いかけた。
「私は考え始めた。アーティストとして、どうすれば観客が作品を通じて自分自身を見つめる瞬間を創り出せるのか?」[4]
この経験はクィンテロの創作活動の原点となり、彼はその瞬間を40年近く経った今でも鮮明に覚えている。魚の生臭い匂い、針が通る音、彼女の歌声、焦げた髪の匂い、パンの香り、体に突き刺さる骨の感覚——すべてが彼の中に強烈な印象を残している。これこそが、リバーベッド・シアターの没入型の体験を生み出す上での基盤となっている。
リバーベッド・シアターの作品は、観客を深く引き込み、単なる視覚的な体験を超えて、感覚や記憶に訴えかける。クィンテロのこの象徴的かつ感覚的なアプローチは、彼の長年にわたる創作の核となっており、観客に内省を促す「鏡」のような役割を果たしている。公演を見て半年以上経った今でも、私は《忘れられたもの》のシーンを断片的かつ鮮明に記憶している。そして、無臭で適温なシアター会場で鑑賞したはずなのに、そのシーンの記憶とともに、じめっとした湿気や灼熱感が一緒に思い起こされるのは、私の実際の体験と記憶が改変され、新たな記憶として私の中に深く刻まれているのだろう。
[1] トータル・シアターとは、複数の芸術形態を取り入れ、観客に没入感のある体験を提供する舞台芸術の一種であり、音楽、ダンス、ビジュアル・アート、人形劇などの要素が含まれる。
[2] 「開箱老照片 煤塵爆炸 監委調查海山煤礦災變原因」, 中央社網站, 更新日2023年6月22日https://www.cna.com.tw/news/ahel/202306215005.aspx
[3] クレイグ・クィンテロ, 著者によるインタビュー, 2023年12月3日
[4] クレイグ・クィンテロによるレクチャー、国立台北芸術大学、2023年11月17日