20世紀最後のボンボン 第十部 ヨーロッパ テーマ旅行 第十五章 古代史探索篇 ベネチア
2013年6月のベネチアと1990年のベネチアは全然違う街になっていた。2013年にはアラビア人の船が多くて、アメリカにもありそうなピザ屋をタイ人が経営していて、中国人観光客も多かった。ベネチアは全然危なくないと、私なりに考えていて、駅に着いたのが、もう暗くなってからで、そこから船に乗って、しかも混んでいて、私たちだけ荷物がいっぱいで、けれども座る場所もなく、何という出だしなのだと思いつつ、Hotel Buccintoroまでの道もよくわからず、ずいぶん前で船を降りてしまい、カンクン君はかんかんに怒っていて、けれども、だいたい予定したとおりにならないのが旅行で、だからといって、予定があったわけでもなく。
でもよく考えてみれば
アラビアは昔から栄えていたのだから、
今のほうがむかしむかしの姿に近いのかも、
と思えたり、
中国人だって、シルクロードでヨーロッパまで
貿易に来ていたはずなんだから、
1990年にバブルの恩恵で
ヨーロッパに来れた日本人の私のほうが
ユニークな存在だったんだと思ったり。
でもまだ幼い自分が拙い英語とそれなりに詳しく学んだ世界史の
知識を駆使して、ヨーロッパを見に来てよかったなと
しみじみ思ったり。
サンマルコ広場に行って、
ブテイックをいろいろみたり、
ただ橋から水の流れていくのを見ていたり、
食事が思ったよりはるかにおいしかったり、
というか西洋の食事に慣れてきた
この20年の自分の生活を考えたり、
1990年の自分はまさか自分の息子とこの街を
訪れるとは想像もしておらず、
そしてまさか2013年にベネチアがこのように
変わるとも予想できず、
カンクン君はどう思っているかなと探してみると
アメリカで自分で探して手に入れた旧式の
カメラで風景を撮っているのに必死で、
時間が一分でも惜しいという風に、
ベネチアにもっといたかったと
そのあとも何度も
つぶやいていた。
留学でくればいいのに、と言ってはみたが
勉強はしたくないのが
カンクン君の最近の事情ではあり
私はギリシアに住みたいと真剣に調べたが、
留学以外無理なのと
意外と危険な時期だったので、
ローマに住んで、まわるか、という
議論にすり替わっていた。
結論がいつまでたっても出ない話を延々と
ボンゴレのおいしさに舌鼓をうちながら。
確かバイオリンの響くゴンドラに乗ったんだか
乗らなかったんだか
運河で、水がたくさんあるので、
やはり私はとても楽しく、
本当はベネチアングラスも欲しいなと思ったものの
そこに行く船に乗り遅れたりして、
アリタリア航空でロンドンに戻る日がやってきました。
続きは第十部 ヨーロッパテーマ旅行篇 第十六章 再びのロンドンの極楽 で