20世紀最後のボンボン 第十部 ヨーロッパ テーマ旅行 第十三章 Villa d'Este ヴィラ・デステ(1)
きっかけは彫刻だった。
2011年秋、カンクン君がニューヨークの大学に行ってしまって
土曜日の夜がとてもつらいことが予想されたので、
サンフランシスコの元の美術大学に戻って、
彫刻を始めた。
何でもいいから時間の拘束なく、打ち込んでいける何かが
どうしても必要だった。
ちょうど、彫刻学科ができたところで、面白いクラスが
いっぱいだった。私は宝石の細工を作るクラスと
彫刻の基礎とセラミクスのクラスをとった。
どのクラスもそれぞれ面白かったが、基本は自分のアイデアを
アートにしていく作業なので、自分の興味を突き詰めて、
形にしていく毎日で、それは映画を作るのと非常に似ていた。
それ以前に、オンラインで、サンフランシスコの建築美術史や
世界中の建築の研究も進めていたので、
インスタレーションとしての彫刻に興味があった。
日本でいう空間芸術の分野で、病院や劇場などで、天井からつるして
あるようなアートを作っていくものだった。
いくらアメリカの教育が実践重視といってもさすがに
最初からそんなに大きいものを作れるはずもないので、
イサム・ノグチやフランク・ロイド・ライトなど一連の
作品を研究して、自分なりに昇華していく。
私の原点はやはり原爆なので(それはまたドキュメンタリー
フィルム制作のところで書いていきます。)最近の
トピックとしてはヒトゲノムだとかDNAの地図に深い関心があって、
それを宝石や彫刻やセラミクスで表していこうとしていました。
宝石のクラスでは彫金という分野だと思いますが、
まず銅を火で加工して、自分の思い通りの形にしていくのです。
銅板を細かくカッターで切って、それを金属用のノリで溶かしながら
はっていき、そこにたとえば、宝石を置く台も設置して、
そこに石をはめ込んでいくのです。銅はすぐに酸化するので、ちゃんと磨いて、きれいにしあげていくのです。
これは書くと簡単なんですが、非常に時間もかかりますし、
一回でうまくいかない場合も多いので、ある種の根気が要求されます。
私も当時はやる気満々だったので、何でもなかったのですが、何しろ
そのころは目がレーシック手術をする前だったのでよく見えないこともあったので、とても時間のかかる作業でした。けれども古代からずっと続いていたであろうこの彫金の作業は日本の昔の図工のクラスのような
気分で、本当はずっと定期的に続けていたかったと思わせるだけの
ものがありました。
ともあれ、そのようにいろいろなクラスをとるうちに
私は世界中の彫刻を映像で見るチャンスに恵まれて、
中でも、イタリアのヴィラデステについては
強く引き寄せられていったのでした。
続きは第十部 第十四章 ヴィラデステ(2)で。