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「生業」とすること

生命活動を続けるため、錬金術の1種としての作業行為なのか。

ユニークを生きていくことの発露、教育や経験で長年生成されてきたオリジナルの漸くのアウトプットなのか。

仕事をする、ということを、何を第一義として、自分の人生に意味づけながら日々を費やしていけば良いのか。あまりある価値観に溺れて、時々見失ってしまう。

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ある場所で、ある種類の仕事をする、ということを、自分という人格形成のゴール、アイデンティファイの1つだと思い続けてきた節がある。だから、なのか、もしくは入った業界柄も多分に影響していると思うけれど、「何になりたいのか」を追い続けるドリーマー精神がどうしても抜けない。抜けないし、正解が見つからない。自分の座標を見失っている状態は、なんとなく息苦しい。

立身出世は、指標として大事、ある程度は上を目指したいと思う気持ちもあるけれど、仕事を「する」ことの価値とは違う。自分は魔法使いになるのか、僧侶になるのか、そう、ベクトルの大きさではなくて向きを決めたいのです。

前にツイッターで、わたしは「好きなことが仕事になった」云々と言ったけれど、正確には、その好きなことにどの立場から携わりたいのか、まではまるで見えていない。見えていないのか、はたまた、見えていないと言える状況に甘えて逃げているのかは、グレー。自分の脳みそを仕事のツールにすること、まだ、使えると確かに判断できていない内面を評価の場に引きずり出すのは、正直いってまだ怖い。

あぁ、でも怖がるくらいには、やっぱりそうやって勝負していきたいんだな。私のアウトプットに、ユニークな価値があってほしいな。私のワザは、何なんだろう。

センスは知識量がモノを言う。本当にそう。
勉強しないと、ね。




まあ一番は、高等遊民になりたいんだけど。

#仕事 #生業

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