「将国のアルタイル」完結おめでとうございます
2023年2月末に「『将国のアルタイル』があと数話で完結するらしい」という記事を執筆して半年以上経過したが、2023年11月25日発売の月刊少年シリウス2024年1月号をもってカトウコトノ氏の「将国のアルタイル」が完結した(全162話)。とてもおもしろかった。
カトウコトノ先生、17年間本当にお疲れ様でした。最終話掲載時に添えられた先生のコメントに「描きたかった話を続けることができて幸せでした」とあったのがなによりだと一読者としてしみじみと感じます。
筆者が本誌を追いかけ始めたのは泉の町攻防戦のあたり(単行本20巻)からだが、これだけの規模の物語を一貫したテーマで描ききってくださったことを読者としてありがたく素晴らしいことだと感じている。世の中には優れた創作者が大勢いるが、その中でも「広げた風呂敷をきれいに畳んで終わる」ことができる者がそのうちの何割に達することか。少なくとも全員ができることではない(自戒を込めつつ)。
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「将国のアルタイル」についてなんの前提知識もない方はこの記事を閲覧していないことと思うが、改めて紹介しておくと、ルメリアナ大陸にある“トルキエ将国”と“バルトライン帝国”の間で起こる大戦を、トルキエの少年将軍であるマフムートを中心に描く戦記物語である(将軍とは、トルキエの政治家兼軍人)。ファンタジー物語に属するが、転生物ではなく、魔法や亜人のような超人的な要素はない。また、たった一人で敗戦を覆せるような無双の武人もほぼいない。われわれの知るユーラシア大陸の歴史の延長線上にある要素を持った国々や人々が、外交・政治・軍事などの分野で争うことになる。
最終回まで丁寧に描かれて完結したので、この手のジャンルの漫画を読みたい人に懸念なくおすすめできる一作となった。これだけ情報量が詰め込まれているのに30巻以内でまとまっているというのもよい。キャラクターが死ぬべきときに死ぬので、「推しが死んだら立ち直れない」という人には向かないかもしれないが。
講談社のマンガアプリ「マガポケ」で5話まで(=単行本1巻すべて)読めるほか、その後も1話単位で購読できる。
2017年にはアニメ化しており、Amazon Prime Videoでレンタルすることができるので、そちらも紹介しておく。脚本の都合上カットされた部分もあるが、原作漫画の概ね1~15巻に相当する範囲がアニメ化されている。
主題歌はシドの歌う「螺旋のユメ」で、シドの20周年記念トリビュートアルバムでマフムート役の声優を務めた村瀬歩氏が本曲をカバーすることになった。
国のかたち、世界のありかた
最終回まで通読すると、改めてこの物語が「トルキエという国のかたち」について主に語ったものであることを実感する。最後までまったくブレていない。ルメリアナ大戦と呼ばれる大戦争がもちろん主眼ではあるのだが、終戦後の戦後処理まで単行本約3巻分の紙幅を割き、最終的にはマフムートが主導し、広大な大国となったトルキエの政体をゆるやかに変容させてゆく様を描いている。「ちゃんと落ち着くべきところに落ち着いている」のが、読んでいて気持ちよかったように思う。
さまざまな条件下に生きる国や人がそれぞれの利害を主張し反目する中、平和を願うマフムートは彼らを糾合せねばならない。初めは額面通り「戦争を避けよう」と言うしかできなかったマフムートが、先例に学び、多くの人との出会いを重ねることで、人々の主張する利害を調整するという政治家らしい、そして“犬鷲使いらしい”手段を身に着けていく。
トルキエは実力主義と合議制によって統治されてきた国だ。優秀な人材を重用し、彼らの力をもって国を強く豊かにすることで、極度に硬直した組織であるバルトライン帝国を打ち破ったことが描かれている。だが強大な大国となったトルキエに合議制はもはや適さないことに、マフムートやザガノスらは気付いていた。彼らはバルトライン帝国とは違った形の専制国家への移行を目指し、これを実現させることになる。
大陸に平和が成ったわけだが、最終話で語られているように、バルトライン帝国の版図を吸収して強大な専制国家となったトルキエは、諸外国にとっては「最大の貿易相手国にして仮想敵国」となった。トルキエの味方としてマフムートと共闘したキュロスも、最終話で故国燈台の都のために活動しており、「トルキエと利害がぶつかった時に戦える地力をつけておきたい」と語っている。ようやく訪れた平和は、諸国の不断の努力によって維持されねばならない。現実と照らし合わせてみても至極当然のことであるが、大いなる動乱の時代が描かれた後だからこそ、読者にもその実感が伝わってくる。
(とはいえ、この物語では宗教や人種が原因となるトラブルがほぼ描かれない。例外は序盤に登場した悲劇の民くらいか。そのため、作中の人々は概ね「利益につながる選択する」「害を被る行動は避ける」ことをお互いに共通の価値観とすることができており、深刻な相互不理解や価値観の断絶に基づく戦争は作中に存在しないと言っていい。これはあくまでも架空の世界の物語だからこそだと、昨今の世界情勢を鑑みながら考えさせられる次第である)
人々の願いと覚悟
最終回を迎えたので「ストーリーがよくまとまっていてよかったなぁ」という感想がまず出てきてしまうのだが、もちろん各キャラクターたちもそれぞれ魅力的だった。
せっかく魅力的な登場人物が多数いるのに、コミックスの表紙になるのが主人公であるマフムートただひとりなので、コミックスがずらりと並べられたとしてもマフムートのビジュアルに特に魅力を覚えない人たちへの訴求力が弱いのはちょっともったいないと常々思っている。
配られた手札
結局フレンツェンのこのセリフに落ち着くんだなァ……と思うなどした。アダム&フレンツェンは名シーン職人。
病身のフレンツェンは最後まで病からは逃れられないし、マフムートはどんなに努力してもザガノスになることはできない。いま自分の手元にある力をどう使うか――そうやって”将国”世界の彼らは生きている。
思えば“配られた手札”を最大限に活用して生きているのは、人に限らない。人の集合体である国家もそうだ。以前の記事で抜粋した通り、「その国の置いた環境に最も適した形に」なった結果がいまのルメリアナ大陸の諸国家なのだから。
マフムートとザガノス
作中で「希望の星」「絶望の星」と語られるように、表裏の主人公としてトルキエを勝利に導き、最後に政敵として対峙し雌雄を決するに至った二人。物語の初め、マフムートは冷徹な現実主義者であるザガノスに対抗心を持っていたが、その才幹に舌を巻き、やがて彼を目標とするようになる。マフムートがザガノスと同様の視点、広い視野を持って行動することによってルメリアナ大戦は(おそらくそうでなかった場合に比べて)早くに終結することになった。物語の終盤でも、彼らの目指す方向は大きく違ってはいなかった。ただその方向へ進もうとする速度が異なったのである――マフムートは穏やかに、ザガノスは性急に。
最後にマフムートがザガノスに勝った決め手は、彼がこれまでに培ってきた周囲の支持であった。第160話の「善人に見えるのも才能のうちじゃな」というアイシェのセリフがなかなか痛烈に見えるが、まったく真理を突いている。他人を動かすためには幅広い人望がいり、辣腕を揮って周囲を恐れさせてきたザガノスにはそれがなかったということである(もちろんザガノスにも人望はあったし信奉者もいたことは申し添えておくが、あくまでも少数であった)。
ザガノスの少年時代は聖ミヒャエル攻防戦で片鱗を見せられ、終戦後にようやくエピソードが描かれた。ザガノスは現在の姿だけでも魅力ある第二の主人公だったが、その行動原理が少年時代のエピソードによって補完され、さらに人間らしさも加味された形だ。
それにしても、ザガノスは国内外から恨みを買いまくっていただけに、ファンの間では最終回まで生死が危ぶまれていたキャラクターでもある。正直なところ、形勢があらかた定まった終盤を読んでも「最後に暗殺されそうで気が抜けない」などと思っていた口だ。だがそんな読者たちの動揺をよそに、カトウ先生は収まるべきところにザガノスを収めてくれたと感じる。マフムートとザガノスが離別するラストシーンの清々しさが沁みる。
トルキエの人々
適切な言い方が他に見当たらなかったので四将国と総称してしまったが、オルハン・アイシェ・イスマイルら、すなわち四将国の将王たち。四将国が大戦終結後にトルキエ将国の州として併合されたことに伴い、各州の長官となっている。「将国のアルタイル」はマフムートの成長を主軸とした物語だったが、同時に年若い元将王たちの成長も顕著に描かれていた側面がある。
彼らは四将国内乱を経てマフムートの心強い味方となり、その後レレデリクの侵攻に際し共に首都を守り抜いたほか、最終盤の政争においてもマフムート側についた。第36話のイスマイルが語った「この先何が起こっても新将王たちはあなたのためなら喜んで命を懸けるでしょうね」の言葉に呼応する形で、第101話でトルキエの危機を守るために将王たちが集結するというシナリオ展開があまりにもよかった。イスマイルとオルハンについては、さらに第126話で将としての成長ぶりを見せつけてくれる。彼らは"王”ではなくなったものの、いずれも優れた将軍として各州を統治していけるだろうと確信させてくれる物語だった。
そしてオルハンとアイシェは改めて正式な婚約おめでとう。婚約式が描かれたときは「(婚約式から2年後とされる)結婚式まで見たい!」と思ったが、結婚式まで描くのは蛇足なのだろうと思い直した。お互いがお互いにふさわしい伴侶になってくれて本当によかった。
77話から登場し、以降マフムートの補佐役として活躍したゼキとヌルザーンは、いずれも戦後まで生き延びている。ただし、マフムートや元将王たちよりもやや年嵩であることもあり、旧来の合議制トルキエへの未練を覗かせるキャラクターでもあった。
オスマン帝国史上最高の建築家と言われるミマール・シナンをモデルにしたとおぼしきゼキは、登場当初はマフムートにあからさまな嫉妬心・敵愾心を抱いていたキャラクターだが、彼自身が考え抜いた結果、マフムートの目指す方向性を受け入れ、毅然として恩師ダヴドを見送っている。それを見守っていたヌルザーンの表情は読みがたいが、おそらく彼はトルキエに仕え続けることを決めた友人と同調するのではないか。
マフムートと同族で兄貴分でもあるスレイマンは、ザガノスに最も近い立場の人間だが、築き上げた諜報網”目と耳”を司り続けるために、国外へ去るザガノスを見送ることになる。彼はザガノスに大恩があるが、彼の根本的な行動原理はマフムートと同じく"戦争をなくすこと"に基づいている。ザガノスに同伴しないとはいえ、”目と耳”に関わってトルキエの平和を守り続けることは、ザガノスの理念を引き継いでいくことと等価なのだろう。
旧バルトライン帝国の人々
第1話からマフムートの最大の敵、地理学の大家にして狡猾な政治家として登場していたビルヒリオ=ルイは、その手足である赤蛇の教団のエレノアとともに、第161話までの登場となった。思えば"警告の鐘”登場のあたりでは肝を抜かれたような表情が多く描かれたものの、戦後処理編では最大の敵としてふさわしい不気味な沈着さで存在感があった。帝国への忠義を貫いた彼はトルキエへの士官を求められても断った様子が描かれたが、彼の忠義のありようには一種の美学がにじみ出ている。仕えるべき帝国がなくなったからこそ、自らの命にさして執着のない”終わり方”を描いたようにも見える。退場の仕方が最高にかっこよく、161話読了後は思わず手を叩きたくなってしまった。
ルイはあくまでも例外で、将国の統治を受け入れて適応する旧帝国の人々は多かった。いち早くザガノスに帰順したカウフマンは所領を安堵され、工兵隊を率いて相手を苦しめたバレはトルキエのもとで技術を生かすことになった。シモン=ブランシャールとエイゼンシュテインはトルキエ将国に帰順して最終的に十九人の将軍の地位に昇った。物語後半の要所要所でおいしい役を持っていくシモンだったが、ルイに告げた「贔屓の役者の最後の舞台です」が最高にクールで、作中屈指の名台詞ランキング入りする勢いである。まさかこんな形になるとはなあ……。
陸軍の若き軍人として活躍したディルク=ヴィヒターは、最後に反乱に巻きこまれたものの、重罪に問われることがなかったのが救いだった。苦労を重ねながらも最後まで瞳から光を失わずにいた誠実な若者が不幸になるのを見るのは辛いので、そうならなくてよかった。ヴィヒターに幸あれ。
ルメリアナ諸国家の人々
序盤でマフムートの仲間となり、ともに行動することが多かったキュロスとアビリガ。ともにトルキエ人ではないため、マフムートの成長を最も近くで見ることになりながらも、彼を冷静に評価する立場でもあったように思う。
特にキュロスは、マフムートと年齢は近いもののかなり一般人に近い思考の持ち主だ。当初は「本気になれるなにかを見つけたい」と燻っていた彼が、故国と父を失い、ルメリアナ各地での活躍を通じて視野を広めていった結果、帝国の支配から解放されたポイニキアのために働くことを選んだのもよかった。読者としても見守った甲斐があったというものだ。
マフムート一行に合流しそうでしなかったニキとマルギットも、賑やかし要員ではあるが最後まで登場してくれてよかった。安定のかわいさにサンキュー。ニキ×マル極上めしの短期集中連載やってくれ。
キャラクター単位だともうちょっと補完してほしい部分が
マクロな部分がきれいに完結したが、ミクロな部分、すなわちキャラクター単位だと「もうちょっとこのエピソード掘り下げてほしかったな」と思うところがいくつかあるので、とりあえず筆者が個人的に思いつくだけ列挙してみた。今後短編で描いていただける機会はないものだろうか……。
バルタ将国の次期将王になるはずだったケマル
海の都共和国と島の都共和国
エルバッハの経歴
ゼキとヌルザーンが友人となった経緯
山岳国境警備隊が抜かれたウラド王国
大将軍がザガノスを取り立てた経緯
マフムートとシャラの関係
燈台の都の復興とキュロスの活躍
ザガノスの部下たち(ジェミルやバスコ)のその後
帝国の傀儡と化していたサロス王国
単行本26巻以降の発売は2024年
単行本は2022年3月発売の25巻が発売されて以降、新刊が出ていない。未収録分は2,3巻分は貯まっていると思われる。2023年の春あたりからせっせと講談社の新刊コミックス予定表にアクセスしていたものだが、どうも2024年以降に複数巻発売されることになるらしい。
例によって大幅な加筆修正が施されるかもしれないが、本誌の内容と見比べるのも楽しみである。
そして実に個人的な事情だが、22巻発売の際にサイン会に参加するつもりだった筆者は、仕事の都合で急遽不参加とあいなったことがある。23巻以降はコロナ禍のためにサイン会の開催そのものがなくなってしまったため、カトウ先生の単行本発売記念サイン会の開催を心待ちにしている……。