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行徳なぞときあるき① ~新井〜

市川市新井。市川市の外れにあって、浦安市と接する場所である。

私が新井の町が気になったのは、「浦安・行徳三十三カ所観音霊場巡り」で、2度目か3度目か歩いた後のことであった。市川市の外れにはあるものの、なぜかいにしえの匂いのする町。当時、行徳の歴史にも詳しくなかったが、何か感じるものがあった。

中でも、最も歴史と風光明媚さを感じる場所が、行徳街道から新井寺に入る路地である。思い起こすと、新井に想いを寄せたきっかけはこの路地かもしれない。このお寺、「あらいでら」ではなく「しんせいじ」と読む。地名が新井(あらい)なのに。教えられないと絶対に読めない。

新井寺(しんせいじ)

新井のことを古い地図などで調べてみるとなかなか面白いことがわかった。明治時代の新井はどうだったのか?下の地図は、アプリ「スーパー地形」を使って見た明治時代の東京〜行徳の広域地図である。集落や市街があるところは民家が多く描かれているため黒くなっている。左側が東京であるが真っ黒い地域が広がっている。東京が市街だったのは当然である。

スーパー地形(今昔マップ[首都圏] 1896-1909)黒い部分が民家が密集するエリア

郊外に目を移すと右下に真っ黒い目立つところがある。ここが浦安だ。そして右端には小さいが真っ黒い本行徳の町がある。そして新井のまちはその間に飛び地のように存在している。浦安や本行徳は東京に引けをとらない都市だったことがここから改めて確認できる。浦安・行徳をもう少し拡大してみる。

スーパー地形(今昔マップ[首都圏] 1896-1909)新井の町が飛び地のように存在する。

浦安は江戸川の支流である境川が東京湾にもつながり境川沿いの漁業の町として栄えた。本行徳は江戸川沿いに水運の町として発展し、その中心地として市街が形成された、それらのことはよくわかる。でも、新井は江戸川沿いでも境川沿いでもない。内陸部に入ったところに飛び地のように密集した民家が集まっているのが解せない。今だに答えがでていない。

現在の地理院地図で新井の町を見ると以下である。南行徳駅から少し離れたところにあり、駅前の「相之川」に隣接している。青丸で囲っている部分(①)にお寺(卍)2つと神社(⛩)1つが密集している。さきほどの「新井寺」と、それに隣接して「延命寺」「熊野神社」がある。

スーパー地形(地理院地図)でみる新井

新井寺のホームページにこの「新井」の町の由来らしきものが掲載されている。寺の創設は1616年であり江戸時代初期だ。船橋に住んでいた和尚さんがこの場所に来て、掘ったら井戸がでてきたとのこと。それ以来、この場所が水に潤い、寺が建てられ、「新井寺」と名付けられたそうである。

井戸による水が豊富だった、ということが、この内陸部の飛び地に大きな集落が形成されたというのが一つの仮説だ。

もうひとつ面白いのが、新井緑道であり、上の地図の②だ。この道の形からすると、川の跡に違いない。

新井緑道

この緑地にある説明看板によると、新井の田んぼなどからの排水のために使っていたとのことである。下の航空写真は1945年のものだが、このころは確かに川であったことがわかる。最初、私は舟入であって、浦安のように新井は漁業で潤ったとばかり思っていたが、そうでもないようだ。やはり井戸水が豊富で農業が盛んであったのだろうか。

スーパー地形(空中写真[1945頃])で見る新井

現に、航空写真からわかる民家の集まりを見ても、新井川に面してはほとんど民家がない。民家は街道沿いに集中している。

さらにマニアックな話になってしまうが、新井寺の前に水路が90度曲がった場所がある。これもなかなか珍しいように思う。

昔はまっすぐもしくはゆるやかカーブで流れていて都市化の都合で最近になって曲げられたのかと思ったが、実は明治の地図で見ても、ここで90度に折れているように見える。寺の周囲を迂回するように水路通し、新井川へ向けて曲げたということなのか。

古さの残る新井であるが、上述したとおり解けていない謎が多い。今後、この土地の方にもうお話を伺うなどして少し調べたい。

だいぶマニアックな話になってしまったが、最後に新井のオススメの歩き方を書いておこうと思う。今井橋どおりの大きい道を抜け、旧道を新井の町に入ると、街道沿いは少し狭く、カーブが多く見通しが悪くなる。行徳方面の旧道はまっすぐなので、見通しは良いのだが、新井は見通せない。ここが面白い。家は新しいものの、密集感が半端ない。どことなく古くから集落だったと感じいる。

街道から新井寺に入る小道がオススメである。冒頭で書いた通り新井に想いを寄せたきっかけとなった小道だ。街道沿いには小道がやたら多く、下手すれば、素通りしてしまう狭い小道である。

新井寺⇒延命寺⇒熊野神社と参拝したのち、寺の裏手に出ると狭い路地がたくさんある。江戸時代に鎌ヶ谷方面から行徳まで農業用水路であった「内匠堀(たくみぼり)」もこの裏手のあたりを流れていたとの話である。

街道から路地へ入り小道を探検したり、新井緑道を通って旧江戸川に出たり、ゆっくり2時間はなぞときあるきを楽しめるだろう。


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