20241215旧中山道をJR行田駅から熊谷駅
FMクマガヤ87.6MHz「しゅっぱつ!すいっと探険隊」。今回は、旧中山道をJR行田駅から熊谷駅まで探検します。国道17号とは必ずしも一致しない昔ながらの道筋を歩きました。出演は、すいっとプロジェクト代表の樽見潔、ナビゲーターはFMクマガヤの蓮沼千尋さんです。
余談ですが放送日の前日、樽見は友人に会うため兵庫県姫路市におりました。往復とも夜行高速バスを利用し、バスタ新宿と姫路駅のあいだ片道約10時間の移動でした。バスタ新宿は、新宿駅の南口・甲州街道の陸橋よりも南側にある交通ターミナルで、1階が新宿駅プラットホーム、2階が新宿駅改札口、3階がタクシー乗り場、4階がバスターミナルとなっていて、たくさんの高速バスが乗り入れている素晴らしいターミナルです。そして、私の乗った高速バスは3列シートでトイレ付き。座席では足を伸ばせ、リクライニングは深く倒せますし、スマホ充電器が使えるコンセントやフリーWi-Fiのサービスもあります。深夜は車内が消灯になりますのでゆっくりと休むことが出来ました。
さて探検ですが、今回は旧中山道を歩きました。中山道は江戸時代の五街道のひとつで、江戸と京都・三条大橋を結んでいました。海沿いの東海道に対して、内陸を通るのが中山道です。
曲ⅰ サーカス「風のメルヘン」
私が最初に中山道に興味を持ったのは高校生の時でした。埼玉県立熊谷図書館で出会った今井金吾(著)『今昔中山道独案内』には現代の地形図に中山道の道筋が赤くなぞってあり、今の国道とは異なることに衝撃を受けました。現地踏査に行ってみたくなり、自転車で辿ってみようかとも思いましたが、それは誰しも考えつくことです。ならば歩いてやろうと思い、大学生になり3度の夏休みを使い、東京都から長野県、長野県から岐阜県、岐阜県から京都府と歩いて旅行をしました。
サラリーマンやOLで賑わう平日朝の日本橋をTシャツ短パン姿で出発し、秋葉原を抜け、巣鴨を抜けて荒川を渡ります。巣鴨とげぬき地蔵通りは中山道です。その日は大宮まで歩いたところで夕方になり、背負っていた寝袋を使いどこか公園で野宿をしようかと思いました。しかし地元の人が「野宿は危険だ」と教えて下さったので、大宮駅近くのカプセルホテルに泊まりました。2日目はJR行田駅まで歩き、交番へ事情を話し駅前の公園で野宿をしました。3日目、熊谷駅近くで歩道橋に囲まれた筑波交差点まで歩いた時には、「熊谷と東京は地続きだったのか」と大変感動した覚えがあります。地続きというのは当たり前のことなのですが、普段、都内への行き来は電車を使っているので途中の景色など知りませんが、日本橋から一歩ずつ歩いて熊谷まで景色がすべて連続して、地続きであることを実感したのです。
いま「中山道御宿場印めぐり」という企画があります。熊谷宿の御宿場印もありまして、こちらは熊谷市観光協会で購入したものです。中山道の御宿場印は東京都の日本橋宿から埼玉県を経て群馬県の坂本宿まで18宿にあります。坂本宿は横川駅の先で碓氷峠の手前にある群馬県西端の宿です。
碓氷峠で思い出すエピソードがあります。当時坂本宿まで歩いたところで午後4時頃になりましたので、碓氷峠に入るのを一度は躊躇したのですが思い切って次の軽井沢宿まで歩くことにしました。碓氷峠の中山道は、国道18号の旧道よりも北側の、歩行者しか通れないような山道です。怖い思いをしていまして、中山道を歩いていると徐々に薄暗くなってきたこともあり、地図上で自分がどこを歩いているのかがわからなくなってしまいました。それに、歩いていると錆切った自動車が出現するのです。結局、軽井沢に着くまで一本道をひたすら歩くほかありませんでした。
こちら、中山道御宿場印めぐりの熊谷宿の御宿場印は、熊谷市観光協会をはじめ八木橋百貨店3階PlugsMarket・清気庵・中家堂にて1枚300円で入手できます。皆さんも中山道の宿場町を訪ねてみてはいかがでしょうか。
さて、今回の探検の話をいたしましょう。今回はJR行田駅をスタートし昔ながらの中山道をたどり熊谷駅まで歩きました。JR行田駅は西口を出発します。それは、旧中山道が荒川の堤防の上だからです。今の国道17号はクルマがスムーズに走れるようにあとから造られた道路で、この辺りでは当時の中山道とは異なる道筋となっています。
ところで、JR高崎線では荒川の側の出口は、浦和・大宮あたりから行田駅までは西口、熊谷駅では南口ですね。
JR行田駅西口を出発してまず荒川の堤防に上ると、「決壊碑」がありました。昭和22年(1947)9月、カスリーン台風による洪水でこの地点の堤防が決壊し、ほかの鴻巣や春日部で決壊した箇所からの濁流と合流し東京まで達したそうです。多数の死傷者や行方不明者を出しました。
また、堤防の外側、荒川に近いところには、かつて新川村があったそうです。久下公民館にある説明板には「100年前の久下新川村は舟運と養蚕で栄えました」とあります。江戸と結ぶ船が発着する河岸もあったようです。
曲ⅱ LAGHEADS「Simple Song(feat.HIMI)」
旧中山道は堤防を下り、久下集落へ入っていきます。久下公民館、久下神社、久下小学校などをかすめていきます。アスファルト舗装がされていますが、道幅は大型車がすれ違うのもやっとという程度です。
久下地区には権八地蔵があり、『今昔中山道独案内』にはこうあります。「歌舞伎の鈴ヶ森に登場する白井権八が、鳥取から江戸に出る途中で路銀に困り、この地蔵の傍で旅人を斬って金を奪った。その時、権八が地蔵に『今のことを他言するな』と冗談に声をかけたところ、地蔵が「わしは言わぬが、ぬしの言うな」といったという伝説によるもの」。
この権八地蔵の近くの荒川には旧久下橋が架けられていました。平成15年(2003)に新久下橋が完成するまでは、車一台がやっと通れる橋があり、対岸からの車の進入がないことを確認してから渡り始めなくてはなりませんでした。また荒川の水量が増えると水に浸かってしまう冠水橋でした。
徐々に熊谷市街地に近づいて行きますが、東竹院というお寺がありました。熊谷次郎直実の叔父、久下直光の墓があります。お庭の手入れが行き届いて、紅葉がとてもきれいでした。
秩父鉄道の線路が近くなって、曙公園にさしかかりました。ここは八丁の一里塚跡です。さらに秩父鉄道とJR高崎線を渡り、ティアラ21とニットーモールの狭間を通り抜けていきます。そして、JTB熊谷支店の前で国道17号と合流します。
次回の探検では、旧中山道の探検を続け、熊谷駅から籠原駅まで歩く予定です。
今日もお聴き下さいましてありがとうございました。
曲ⅲ L’Arc-en-Ciel「Hurry Xmas」
今日、おかけした曲
・サーカス「風のメルヘン」
・LAGHEADS「Simple Song(feat.HIMI)」
・L’Arc-en-Ciel「Hurry Xmas」
(樽見 潔)