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人生を「面白い」と思うとき

自分で自分の人生を、「うわ、面白い。」と思うときがある。

そんな時、もし近くに友人が座っていたのなら、「ねえねえ、聞いて?私の人生面白くなってきたところでね、なぜかと言うと…」と話を振ってしまいそうなくらいには面白いと思うし、なんなら少し興奮する。

だけど、おそらく聞かされた相手は何のことだか要領を得ないだろうし、そうこうしているうちに、もっと形になってから人に話そうかなと思い直すので、それが理由で誰かに押しつけ話をしてしまったことは今までにないと思う。(多分。)

自分の人生を面白いと思う時。

それはどんな時かと言うと、仕事がトントン拍子にうまくいっているだとか、おいしい話が舞い込んできたとかそういったタイミングでは全然ない。幸せかというと、そうでもない。良い波がきていると感じるとかでもない。大体が(ほぼ確実に)、思いつきの選択肢に人生を賭けようとしている時に、「うわ、面白い!」と思ってしまう。

言葉を一つ選ぶなら、「うわ、面白い!」になるけれど、次に近い言葉を探すなら、「ヘンだ!」かなぁ。

AとBの選択肢があるとして。

Aは現実的。常識的。今ある道の前に見えてきそうな道。誰に伝えても「頑張ってね」と言う。筋が通っている。

例えるならこういう感じ。

Bは衝動的。最近見つけたばかりの選択肢。現実的とは言えない。周りにそのことについて知っている人がいない。誰に伝えても「大丈夫?」と心配しそう。だけど、”やってみたい”こと。

いつもそんな道ばかり選んでいる気がする。

断崖絶壁からの飛び込みとか、命綱なしの高層ビルクライマーとか、「スリリングなことをしている時に”生きてる”って感じるんだ。」って言う海外の人たちみたいだなあ。

そう思ってしまえば、「自分の気持ちに正直」という一言で片づけたくはないけれど、健全なことのように感じてくるから不思議だ。

”やってみたい”は魔法の言葉だ。この言葉には一生かかっても勝てる気がしない。この言葉を思いついてしまった途端、それ以外の道は選べなくなる。

選びたくても選べない。

常識的でありたくても、周りを安心させたくても選べない。

Bを”やってみたい”と思ってしまった時点で、自分は”本当はAはしたくなかった”ことにも同時に気づいてしまうから。

だけど、どこかでまたAを選びたくなったり、一から十まで心配になったり、困難にぶつかったり、すると思う。

未知のことに足を踏み出すのはもちろん不安だ。「いつかは点と点が線でつながる」とか、「選んできた道は全て正しかったと思える日が来る」とかそんなことを言うつもりはないし、思ってもいない。

だけど、”やりたい”って思ってしまったんだ。

だったら、今この瞬間だけは、面白いと純粋に思ううちは、そう思っておくことが心と身体にもいい気がする。考えたところで、その道は、まだ道にすらなっていないのだから。

方向感覚どころの話ではない、異空間レベルの状態。小さなサイコロを放り投げたら、闇夜の霧の中に消えてしまった状況を想像してみてほしい。
でも私は、その”異空間”っぷりを感じて、楽しんでいるのかもしれない。

ただ黙々と日々を送る。

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