水筒鯨

すべてから逃げ出したくなるような辛い時期は人生に度々おとずれる。文章は、感性を刺激して…

水筒鯨

すべてから逃げ出したくなるような辛い時期は人生に度々おとずれる。文章は、感性を刺激して心を豊かにしてれるものの一つであり、からっからの砂漠に現れたオアシスにもなれる。その輝きといったら。晴れの日のリビングは幸福感にあふれていて最高&最高。

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    日々感じたことや創作の種なんかを書きためていけたらいいなと思います。文章って、書いているうちに楽しくなってきちゃう。

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外に出るわたしの家から向こうまで車で1時間もかからないから、ほんとうは彼に迎えに来てもらわなくてもよかった。 車は角を曲がってきて、目の前でとまった。 紺色でごつごつしてる、男の人が好きそうな車。 彼は運転席からおりるとトランクをあけてわたしの方へむかって来た。 アルファベットワッペンのついた大きめの上着。 腰を落としていないワイドデニム。 「荷物これだけなの?」 驚いた、というよりは考えなしで幼いと思ったんだろう。 彼について知っていることといえば名前と年

    • 【日常】素朴な食べ物がすき

      ※食べ物の好き嫌いの話です。 【好きな食べ物】 素朴なもの ・おから、ひじき、切り干し大根、ビーフン。 一時期、米ではなくてひじきかビーフンが主食の座に躍り出ることはないだろうかと真剣に考えていた。 柑橘系で言うとかぼすが一番好き。四季柑も好き。 好きな食べ物トップ3は今のところ、エビフライ、冷麺、大根おろし。 【苦手な食べ物】 味の濃いもの ・カレー、オムライス、味の濃いラーメン、ニンニクなどなど。 カップ麺は4分の1程度食べれば満足。 義理堅く、それ以上食べようと努力

      • 【日常】事実は小説よりも奇なり

        子供の頃、昔ながらの駄菓子屋さんで豆腐が水に浮かべて売られていたなんて一体誰が信じるだろうか。1990年代。私ですら記憶の改ざんを疑うくらいだ。 四種類のジュースしか並んでいないスリムな自販機があった。あの頃は、裸足で歩いていける距離に豊かな海があった。毎年夏になると潮干狩りをして、昼になればパラソルの下で塩っぱい大きなおにぎりを頬張った。 そのおかげで私はいまでも冷ご飯が大好きだ。 大切な思い出の数々が、連続する瞬間を重ねるうちに、いつの間にか失われていってしまう。もう

        • 【日常】自分の力で辛い波を乗り越えられるようになりたい

          結論から言うと、私は長編小説をただの一度も完成させたことがない。 はじめて小説を書こうと思い立ったのは2023年の春のはじめ。「ここまでの人生でいろいろやってきた。どうせ一度きりの人生なら、小説を書かないまま死んだら後悔する。」そう思い立ち、書き方も分からないまま闇雲に取り組みはじめた。ここでは物語を書くということが何たるかを語ることはできない。本当の意味で書き上げたことがないのだから。この時に書き上げた作品は新人賞に応募はしたものの、完成度としては本当に散々なものだったと

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          【日常】それはすでに達成している

          今まさに真剣に取り組んでいる事柄があるとして。もがいているのに、思う通りにできなくて苦しい。できている人や既に洗練されている人、成功者と自分を比べて、結果を出せていない、形になっていない自分が悔しい。そう思う時は、最初の達成が近づいているように思う。 ここで言及するのは個人的な達成であり、万人にとっての達成ではないかもしれない。私にとっての達成は、認識の変化。手ごたえの厚み。昨日見えなかったものが今日見えるようになること。地位や金銭や名声は、認識の変化の後でついてくる副次的

          【日常】それはすでに達成している

          【日常】薄皮一枚分の努力

          今している努力が無駄なことのように思えてしまっても 無駄になんてなりっこない。 道の途中だから手ごたえを感じずに嫌気がさしてしまうだけ 今は夢中になればいいだけ。 正しいも正しくないもない。 やり方があっているかどうかを不安に思うこともない。 気づいたときには積み上がっている。 気づいたときには想像以上のものを手にしている。 忙しく過ごすなかで、突然それを受け取る。 その時の、途方もない幸福といったら。 誰に感謝をしていいのか どれだけ感謝をすればいいのか分からなくなるよ

          【日常】薄皮一枚分の努力

          【日常】願ったものの、目が明いた。

          自分の言葉を見つけた、そのことに、どれだけ感謝をしていいのか分からない。今まで紡いできた文章は何だったのか。 ぎこちなさは感じていた。 今となっては、心と体を通さず、頭だけを通過した言葉たちだったことが分かる。そこにはリズムがない。話し手がいない。舌でぶつぶつと嚙み切れてしまう、うどんのような不自然さがあった。 心が喋るということは、これほどまでに落ち着き払っているものなのか。 その世界の住人は、ほとんど何も迷ったりしない。 ただ道を進む。道を選ぶ。それだけで、ほと

          【日常】願ったものの、目が明いた。

          【日常】今年も手帳の季節がやってきた

          どうしてもお気に入りの手帳をおススメしたい…。できればこの良さを分かち合いたい…。 毎年秋になると待ちに待ったこの時期がやってきます。 そう、それは「ほぼ日手帳」の発売シーズンです。 そもそも、ほぼ日手帳って? ほぼ日手帳とは読んで字のごとく、「ほぼ日」という会社が出している手帳シリーズです。私が使い始めたのは今から5年前のこと。おびただしいバリエーションの手帳が展開されているので、サイズやシリーズを変えたりしながら毎年お世話になっています。 手帳本体には薄いのに丈夫な

          【日常】今年も手帳の季節がやってきた

          【日常】複数回の攻撃

          「大切なことは何度も訪れる」。 言い換えるのなら、自分の中では”attacks” 複数回の攻撃。 自分の固有性にのっとって私には学ばなければいけない出来事があり、それらは手を変え品を変え、複数回にわたってやってくる。 私の場合は、相手が困っている状況があって、自分が少しの犠牲を払えば解決するという時に、断ることがとても難しい。 結構な時間をとって、「断っても大丈夫」「自分を犠牲にする必要なんてない」ことを頭に叩き込んでからでないと断れない。 うっかりすると惰性で引き

          【日常】複数回の攻撃

          【日常】ささくれをむき損ねた人のお話

          しばらくnoteを書いてみて新たに生まれた感情のあれこれ。 ”毎日毎日思いつくままに言葉を表現していたら、表面的なことしか書けなくなるかもしれない” ”書いた文章を検証しなくていいか、寝かせなくていいか” ”ショートスパンで判断しすぎていないか” 頭の中で繰り返し響いた言葉たち。 ショートショートよりも少し長めの物語のプロットが佳境に入り、人知れず興奮していたところだった。 ありったけの時間を溶かして物語を進めたい気持ちと、短い枠組みでも何かを生み出す喜びの間で心がせめ

          【日常】ささくれをむき損ねた人のお話

          【日常】上滑りする意識を肴に

          ある程度コンスタントに文章を書いていきたいと思っていて、何を書こうか考えていた。 X(Twitter)?noteでショートショート?あるいはもう少しボリューム感のある作品のプロットか。 少し考えては、話が広がらないなぁとか、どこかで見たことがあるような展開だなんて考えていたら、いつの間にか気持ちが良くなってしまった。 例えるのならザッピング。テレビのチャンネルを次から次へと変えていき、話の内容は一つも頭に入ってこない。 浮かんでは消えていく思考の明滅を、つかみもせずに成り行

          【日常】上滑りする意識を肴に

          【ショート】名づけられない日々の中にも光は探せる

          壁にかけられた時計を見上げると、6時を少しまわったところだった。 退勤時間の30分前には施錠にやって来るはずの先生が今日はまだ顔を見せていない。 大学を卒業後に地方銀行で3年余り働いていたけれど、些細なことからこじれてしまった人間関係がほとほと嫌になり、4年前から正社員スタッフとしてお世話になっている堤税理士事務所は、県外の人に田舎だと揶揄されるくらいには郊外の小さな町の一角にある。 大通りを一本裏手に入り、緑の遊歩道を抜けた先にある古い建物の二階が私たちの働く城だ。 先生

          【ショート】名づけられない日々の中にも光は探せる

          枝分かれする道を選ぶのではなく、より流れの豊かな支流を感じとる

          人は常に選択を繰り返している。 何を食べるかといった小さな選択から、人生を変えてしまうような大きな選択まで。 すぐに決めた選択がぴったりハマる時もあれば、悩んだ末に決めた選択が後々になって間違いだったと感じることだって、不本意ながらよくある。 手続きとかメンテナンスとか日常のささいなことには長年生きてきた経験則が活かせるようになってきたとしても、年をとっても悩みは尽きない。 「よし、この道を進もう!」と決めた後で新たな別の道を思いつくこともよくある。それは道を決めて行動を

          枝分かれする道を選ぶのではなく、より流れの豊かな支流を感じとる

          熱帯夜はとっくに終わってしまった

          夏の夜。郊外の町なかをあてもなく歩く。どこへ行くだって自由なのに、私の足は何の喜びも携えず、よく知った道ばかりを選んでたどる。写経のように。道路脇の草むら。夏のはじまりと夏の盛りに、そして秋がはじまればまた刈りとられてしまう雑草。ぼそぼそ話のような虫の声。行きかう車の排気音。街並み全体に濃い影が落ちて、視覚は昼間の半分ほども使い物にならない。 夜の帳が覆うのは、せいぜい視界の届く限りで。ここは地球の最果てじゃない。月や星が見えなくても息が吸える。当たり前に生活だってできる。

          熱帯夜はとっくに終わってしまった

          予想に反して好きになるとき。

          予想に反して好きになるとき。 何も思っていなかったところから、その人の事を好きになるとき。個人的に接触する人でもそうだし、一方的に目にするだけのアーティストが対象でもそう。ファーストインプレッションから好きになる場合ではなくて、関心がないところから接触を経て好きになるときには傾向がある。 好きになるのは、堂々としている人。 実績がなくても。 巷で変な噂が流れていても。 頭髪がプリンでも。 イケメンじゃなくても。 (もしかしたらファーストインプレッションで好きになる人もそうい

          予想に反して好きになるとき。

          人生を「面白い」と思うとき

          自分で自分の人生を、「うわ、面白い。」と思うときがある。 そんな時、もし近くに友人が座っていたのなら、「ねえねえ、聞いて?私の人生面白くなってきたところでね、なぜかと言うと…」と話を振ってしまいそうなくらいには面白いと思うし、なんなら少し興奮する。 だけど、おそらく聞かされた相手は何のことだか要領を得ないだろうし、そうこうしているうちに、もっと形になってから人に話そうかなと思い直すので、それが理由で誰かに押しつけ話をしてしまったことは今までにないと思う。(多分。) 自分

          人生を「面白い」と思うとき