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【日常】自分の力で辛い波を乗り越えられるようになりたい

結論から言うと、私は長編小説をただの一度も完成させたことがない。

はじめて小説を書こうと思い立ったのは2023年の春のはじめ。「ここまでの人生でいろいろやってきた。どうせ一度きりの人生なら、小説を書かないまま死んだら後悔する。」そう思い立ち、書き方も分からないまま闇雲に取り組みはじめた。ここでは物語を書くということが何たるかを語ることはできない。本当の意味で書き上げたことがないのだから。この時に書き上げた作品は新人賞に応募はしたものの、完成度としては本当に散々なものだったと自覚している。物語を書く際に、主人公や登場キャラクターは意図せずに生まれてくるのだけれど、登場キャラクターに申し訳なかったと思うくらいに稚拙な完成度だった。
(本当に申し訳ないと思うので、またどこかで洗練させてあげたい…これも一つの夢、目標でもある。)

二作目を書き始めたのは、一作目が完成してすぐの夏の終わり。半年以上の期間を費やして物語に魂を込めていったけれど、結局磨き上げきることができずに未完成のままデータフォルダに眠っている。

今書いている物語は三作目。書き始めて一か月もたっていないけれど、すでに一作目、二作目と同じようなスランプに入っている。

要はプロットだけすらすら書き終えて、いざイメージをつなげていく段階で、すんなりとイメージが出てこないばかりか、出てきた印象を上手に繋げてあげることができないでいる。不安ばかりが募る。諦めてしまいたいという気持ちがよぎる。

少し話がずれてしまうようだが、私はまだ人生のうちで本当の意味で「辛い波を自力で越えた」経験がないように思う。それなりに年齢もいっている。人から人生相談をされることもある。それでも、私は人の人生には口を出しても、自分の人生に訪れた辛い波を自分で越えることができない。

辛い波が訪れないような幸福ばかりの人生を送れているわけでもない。じゃあ一体、辛い波が訪れた時にどうしているのか。
「波を越えずに逃げる・道を変える」「現実逃避する」「人に頼って泣きわめく」「じっとしてやり過ごす」
大体がこの中のパターンを使って生きてきた。

だからこそ、「今日生きてはいるけれど、明日明後日に生きているとは限らない。半年後なんて全く自信がない。だって乗り越え方を知らない。」という、恐ろしいほど受け身の人生を自分で作り上げてきてしまった。

だから長期計画が立てられない。積み上げるということができない。

「心を折らない」「諦めない」「達成するまで止めない」
それを、どうやったら可能にするのか。達成できたらどうなるのか。今の私には全く分からない。

それでも今書いている物語は完成するまで意地でも諦めてやらないとだけ決めている。そうしないと私は私なりの辛い波の乗り越え方を手に入れられない。だけど、言っているそばから心が揺れる。

頑張ってくれよ、私。このまま辛い波の乗り越え方を知らずに生きていることが、ほとほと嫌になってしまったんだ。

自転車に乗れないうちは乗りこなす自分がイメージできずに感覚を掴むことが大変だけれど、一度乗れてしまえば逆に転ぶということが難しくなる。体が勝手にバランスをとる。乗れなかった頃の感覚を思い出せなくなる。

だから私は、今は自転車に乗れないけれど、頑張って練習をして、上手な人と自分を比べて諦めてしまわないで、乗れるようになる感覚を手に入れないといけない。

もう波から逃げたくない。

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水筒鯨
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