衣笠祥雄

誇りだった“不名誉な記録”

一昨日、阪神の鳥谷敬選手の連続試合出場が1939試合で途切れたことで衣笠祥雄氏の2215連続試合出場がとてつもない記録であることが期せずして反証されることになった。

この記録によって衣笠さんは、プロ野球界でも異彩を放つ高嶺の存在であり、世間から高く評価されていることは言うまでもない。
国民栄誉賞もこの連続試合出場で世界記録を塗り替えた偉業に対して与えられたものだ。

「衣笠祥雄」といえば、この連続試合出場記録であり、その記録によるイメージから連想される“鉄人”が代名詞となっている。

もちろん、衣笠さんご本人がそれを誇りに思っていたことは言うまでもない。なんといっても日本一、世界でも2位という途轍もない記録なのだから。

しかし意外にも、この連続試合出場という名誉と同時に、三振という“不名誉な記録”を衣笠さんは誇りにもしていた。

連続試合出場はプロ野球選手として誰もが持っている「試合に出たい」という欲求を叶えつづけた結果として後から追いてきたものだったのに対して、この三振記録は自己表現のフルスイングを貫徹して築きあげた“金字塔”としてあったからだろう。

「フルスイングが自分の表現。そのスタイルを一度たりとも変えたことはなかったし、一振りとしてそれを怠ったことはなかった」
それが衣笠さんの矜持だった。

カープ球団創設50周年の年に、僕は「カープ猛者列伝」という本を上梓した。カープ歴代の猛者50人をピックアップして記事と写真で構成したものだ。

この本に掲載した衣笠さんの写真は華麗なホームランを放ったシーンのものではなく、あえて豪快に空振りしたフルスイングのものを使った。個人的にそれが「衣笠祥雄らしい」と判断したからだ。

ある時、この拙著の衣笠さんのページを開いてご本人にサインをお願いしたことがあった。そのとき「こんな写真を使って申し訳ない」とお詫びした。
すると衣笠さんは「これが僕ですから」と言って、たいそう喜んでサインしてくれたものだった。

衣笠さんはフルスイングの副産物として多くの三振を喫し、しばらく「通算最多三振」の日本記録保持者だった。
たぶんサインをお願いしたのは、清原和博選手に抜かれる前後だったと記憶する。

連続試合出場記録については「いつかこの記録が抜かれることを願っている。この記録の意味を分かってもらえるのはその人物だけだから」と語っていた。しかしこの「三振」の記録については、塗り替えられたことが少し残念そうだった。

今でこそフルスイングは賞賛されるようになったが、衣笠さんがブンブンやっていた頃は「何もあそまで振り回さなくても」と、どちらかというとネガティブな見方をされていたように思う。

しかし今や、ソフトバンクの柳田悠岐選手に代表されるプルヒッターの豪快なスイングから放たれる豪打にファンは酔い歓声を送る。いや、今ではフルスイングそのものが喝采の対象にすらなっている。
そんな時代を先に見据えたように、衣笠さんは黙々とフルスイングをしていたのだ。

試合の勝ち負けの結果ではなく、選手個々の自己表現。そこにプロ野球の魅力の本質がある。そのことを衣笠さんは意識していたのだろうし、それを体現しつづけた現役生活だった。


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