シロとパンダ

わかりあいっこ

今日はいつもより1時間ほど早く、午前6時過ぎに散歩に出かけた。

まだ夏の暑さを感じるような陽気ではないが、犬と人間との体感温度は違うはずで、もしかしてこの1時間の差が良かったのか、シロはいつもより元気に歩いた。

といっても、この公園に来るまでのいつものコースは通らずに、ひとつ手前の横断歩道を渡っているので、横着をしたい気持ちはあるのだろう。

この公園に来ると、なぜか時計回りとは反対に、そぞろに周回するのが習いとなっている。
しきりに何かを嗅ぎ回っては立ち止まり、また匂いを求めて歩いたりと、気が向けば2、3周することもある。

気になる匂いのところにいって鼻をつけて、しきりに嗅いでいるのは情報を収集しているのだろう。どんな犬が来たのか、その犬はオスかメスか。ときには獣の匂いにもぶち当たっていることだろう。

シロの気持ちを聞いたことはないが、思うところに思うように行けるのは悪い気はしないだろう。
これがリードで繋ぎっぱなしの犬は、そうはいかない。
飼い主の都合や気分で、動きが制約されてしまって、思うに任せない。
そもそも、あっちに行きたい、こっちに行きたいという欲求を諦めた顔で、ほとんどの犬は歩いているように見える。

基本的には往来を一直線に、用を足しながら移動する。それが一般的な犬の散歩だ。
シロはといえば、右に行って匂いを嗅ぎ、左に渡って匂い付けして、思うがまま歩いている。

シロを飼いはじめたとき、いくつかの決め事をした。
前回書いたように、リードを引っ張らないようにという教育は途中で断念したが、もともと歩き方にはそれほどこだわってはいなかった。

一番は、「放しても呼んだら帰ってくる」ようにすることだった。
それはシロを放してやりたかったからだ。
四六時中繫がれていているような生活では可愛そうではないか。

この「呼べば帰る」教育は徹底してやった。
といってもそれほど苦労したわけでもなく、もともとシロはそんな犬だったのだろう。

「シロ!」と呼んび口笛を吹いてもどってきたらご褒美をやる。それを何回かやったら、もうシロは理解したようで、すんなり条件づけはできてしまった。

散歩というのはルーティンだから、そのうち別に呼ばなくても帰るタイミングで自分からもどってくるし、お座りをして首輪につながれるのを待つようにもなった。

お互いの気持ちがわかる。お互いにわかっている。(人間の犬に対する理解については心もとないが)
それを実感する関係性には、得もいえぬ悦びがある。

そんな関係性が日に日に深化するとともに、シロへの愛着は深まってきたのだろう。

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