衣笠本書影

「衣笠祥雄はなぜ監督になれなかったのか?」

プロローグ

 2018年4月23日。衣笠祥雄氏が上行結腸癌のために鬼籍に入られた。享年71才。鉄人とも称えられた球界のスーパースターのあまりにも早すぎる死だった。
 この悲しい現実によって、僕たちは永遠に「衣笠祥雄監督」を見ることが叶わなくなったと宣告されたのだ。
 プロ野球界の伝説となった選手であり、カープが生んだスーパースターであった衣笠祥雄が、監督としてチームにもどることがなかったことは、ひとりのプロ野球ファンとしては残念でならないし、またこのことはプロ野球界の一大損失でもあったはずだ。
 プロ野球の世界にも〝七不思議〟とされていることがある。ゲームに関すること、ジンクスや記録にまつわること、さまざまな不思議が解説者の口から、そしてファンのあいだで語られてきた。
 たとえば、ゲームに関してならば「守備で代わった選手のところに、なぜか打球がいく」とか、「ピンチのあとにはチャンスがくる」とか、「ノーアウト満塁は、点が入らない」と、よくいわれる。
 ほかにも、新人で活躍した選手は、翌年は成績が振るわないという「2年目のジンクス」もあるし、「名選手は、なぜか名監督になれない」といった不思議がグラウンドの周辺にゴロゴロ転がっている。
 そんななかでも、監督人事にまつわる不思議は少なくない。チーム生え抜きで、球団のスターとして人気を支え、現役時代の実績はもうしぶんなく、いずれは監督になるだろう、だれもがそう思っているOBたちが、いつになっても監督にならない。何年かに一度、チームの監督交代劇があるたびに、チマタに名前はあがるものの、いつまでも監督になることがないまま今日にいたっている大物たち。
「なぜ、彼らは監督になれないのか?」
 そう首を傾げたくなる大物選手が、どんなチームのOBにも、ひとりやふたりはいるものだ。
 そのなかでも、もっとも大きな「?」がついたのが、広島東洋カープOBの衣笠祥雄氏だった。連続試合出場2215試合の日本記録を持ち、通算安打は2543本で歴代5位。ホームラン504本は歴代8位。しかも国民栄誉賞も授賞している球界の大スターは、現役を引退してからずっと、監督どころか、コーチとして現場にもどったこともなかった。
 野球に対する並々ならぬ愛情。その愛情にもとづいた高い見識。さらに球界の個性派選手にも慕われる器の大きさと高潔な人格。どれをとっても、監督になったら、「さぞや大監督、名監督になるだろう」と期待を抱かせたにもかかわらず、これはどうしたことだったのだろうか?
 まさに球界の七不思議のひとつだった。
 ひとりのプロ野球ファン、カープファンとして、私も衣笠祥雄氏にカープの監督としてもどってきてほしいと願ってきた。そして、彼が指揮するカープが優勝することを夢みていた。
 カープ生え抜きの両巨頭である山本浩二、衣笠祥雄。この黄金期を支えた両雄が現役としての実績だけでなく、監督として優勝に導いてはじめて、カープは球団史の空白を埋めることができる。あらかじめ予定されていた年譜の「衣笠監督でV1」の覧は、とうとう余白のままになってしまった。
 誰を監督にするとかしないとかは球団サイドの人事であり、その要請を受けるかどうかは、当事者の気持ちひとつであって、いちファンがクチバシをはさむような問題ではない、そう思われているファンがほとんどかもしれない。
 ところが、長く低迷をつづけていたカープと、いつまでも衣笠氏が監督にならないこと、そのふたつがいつからか重なりはじめていたところに、黒田博樹投手と新井貴浩内野手がフリーエージェント宣言をして同時に退団するという〝事件〟が起こった。平成19年(2007)年のことだ。
 このときカープ球団の経営姿勢と、選手やファンが求める「誠意」とのギャップがあきらかになった。「優勝をねらえるチームになってほしい」と本気で願う選手やファンと、一部フロントのエゴがまかりとおっている球団との埋めがたい溝を、ファンはいやというほど痛感させられることになったのだ。
 カープにとってはもちろん、プロ野球界の至宝ともいえた衣笠祥雄という人材が、いつまでも監督になれなかったことと、カープが長い低迷期にあった原因は、もしかするとオーバーラップしていたのではないか。それをこの書のなかで検証してみたいと思う。

 それにしても、なぜ衣笠祥雄氏は監督になれなかったのか?
 山本浩二監督が退任したシーズン。あのとき、順番からすれば衣笠氏がカープの次期監督になるはずだった。それが球界では暗黙の了解事項だった。にもかかわらず、衣笠監督は実現しなかった。
 2006年に配信された朝日新聞のサイトマガジン「どらく」に掲載された衣笠氏のインタビュー記事によれば…、
「いろいろな理由があって、その一つは、野球界の人間関係が煩わしかったというのもあります。コーチや監督として現場に戻るためには、人脈とかいろいろ複雑な要素が絡みます。そういうものにからめとられるのが嫌だった。僕はあるがままに生きたいと思ってしまったんですね。」
 こう衣笠氏本人は告白していた。
 球団のお偉いさんに頭をさげろ。チームOBの大物に断っておけ。後援者の◯◯さんにあいさつにいけ。およそ野球とは関係のない雑事に翻弄されるのがいやだったということなのだろう。またコーチひとりスカウトするにも関係者に根まわししなければならないというような面倒を嫌ったのかもしれない。
 とはいっても、この記事を私たちは鵜呑みにすることはできないだろう。このコメントにも語られていないウラがあるはずだ。彼が「その一つは」とわざわざ断っているように、ほかにも理由はあったはずで、真意は別のところに隠されていたのかもしれない。なんといってもカープは衣笠氏にとって恩ある球団なのだから、いいたいことをすべていえるわけはなかったのだから。
 これは憶測になるが、監督要請にあたって衣笠氏は、新井、黒田両選手のように、みずからの意見をフロントに具体的に要求したのではないか。第一期山本監督時代後半の低迷ぶりをOBとして目にしていれば、どこに問題があったのかは明白だっただろうから。
 まず考えられるのは、コーチングスタッフだ。監督がだれになっても、ほとんど顔ぶれが変わらないカープのコーチ陣をみればわかるが、スタッフはほとんど固定化されてしまっいる。他球団に勉強に行く例もほとんどないし、他球団から有能な人材を登用することも稀だ。これは個々の人材が有能だとか無能だとかいうまえに、組織論としては異常だし、イビツといわざるをえないだろう。
 カープ球団の生え抜き主義の徹底ぶりには、あらためてここに書くまでもないだろう。松田元オーナーにいわせると、「チーム愛をもった熱血派を重用している」からこうなるらしい。それがカープ球団、というかオーナーの方針だというのだ。
 また同オーナーは「他球団から呼び戻す基準は移籍の経緯や、協調性などの人柄も重視している」とも語っている。この発言は、たぶん高橋慶彦氏を意識してのものだろう。カープファンが、もっとも復帰を念願している高橋選手を、オーナーはなにがあってももどさない、そう豪語しているようだ。
 どうやらこのオーナーの考えに、「衣笠祥雄がなぜ監督になれなかったのか?」の理由もかくされていそうだ。
 球団が衣笠氏や高橋氏を呼びもどさない理由。それは上っ面のチーム愛ではない、本当のカープ愛を持ち、チームのためにならないことにははっきりと「ノー」といいかねない人物だからだろう。球団の方針に、そしてオーナーにも立てつきかねない人物。衣笠氏をそんな色眼鏡で見て呼びもどさなかったのだとしたら、組織のトップとしての器量に首を傾げざるをえない。

 衣笠氏が現役を引退してからというもの、冷遇とまではいわないまでも、カープはけっして厚遇してきたようにはみえない。
 そのことは衣笠氏が亡くなってからの球団の対応を見れば歴然としている。彼の訃報に接した際に球団から公式なコメントは一切なく、公式サイトにその事実を報じる一行も掲載されなかった。
 かたちばかりの「追悼試合」をズムスタで開催したものの、その案内をサイトに載せなかったばかりか、その試合のレポートは「衣笠祥雄氏追悼」への感謝でも報告でもなく、試合開始前に国家斉唱かなにかしたグループへの謝辞のみという呆れた対応だった。まるでそのグループの「お披露目ゲーム」であったかのごとくだったのだ。
 とにかく球団のサイトに「衣笠祥雄」の爪痕を残したくない。そんな意固地とも見える偏狭な姿勢が、皮肉にも衣笠さんの死によってあぶり出されたのだった。

 衣笠さんを臨時コーチに招くなり球団アドバイザーに就任してもらうなり、いくらでも遇し方はあったはずだ。あるいは衣笠氏のほうが固辞してきたのかもしれないが、どちらにしても、両者の間というかオーナーとの関係が〝蜜月〟でなかったことは第三者にもみてとれた。
 1988年に現在の松田元氏がオーナー代行としてドミニカなどを視察して野球学校の設立を発表している。これは元氏が実質的なオーナーとなったことを内外に宣言したセレモニーだったわけだが、その年にプロ野球解説者だった山本浩二氏が監督に就任している。さらに第二期山本政権時代も、成績がまったくふるわず本人が辞意をもらしていたにもかかわらず、現オーナーは監督をかばい毎年続投を要請し強行してきた。また2004年には、山本氏は球団フロント入りもしている。
 このようにオーナーが山本氏を重用していることからもわかるように、「YK砲」と並び称された両雄のうち、山本氏を球団の顔としてオーナーは選んだということだろう。「ミスターカープ」は山本浩二である、と。
 しかし監督の選任は二者択一問題ではない。山本監督のあとを衣笠氏に託せばよかっただけのことで、オーナーがどちらを好きだとか嫌いだとか、そんなことはファンには関係のないことだ。衣笠祥雄氏が監督になるのを、ファンは今かいまかと待ちつづけてきたのだ。
 よく「両雄並び立たず」というが、これでは「両雄並べ立てず」だ。「ON」として一世を風靡したあの巨人の長島茂雄、王貞治の両スーパースターは現役引退後、当然のように監督に就任している。それは既定のことだったし、そうするのが球団としての使命であり責務でもあった。
 衣笠祥雄氏を監督にしなかったこと、それは巨人が王貞治氏を監督にしなかったことと同義でもあるわけで、球団フロントの見識を疑われてもしかたのないことだ。

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